2008-10-23 17:12:18

教皇一般謁見・カテケーシス要約(2008.10.22)


親愛なる兄弟姉妹の皆さん

聖パウロについてのカテケーシスを続けながら、今日は聖パウロの教説におけるイエス・キリスト中心主義について考察しましょう。

パウロはキリストを、十字架につけられ復活し栄光化された主、そして今もなお教会の中に生き現存し続ける主、として説教しています。

聖パウロはキリストの受肉と高揚を説きながら、同時に永遠にわたってすでに御父と共に存在していたことも教えています。

パウロのキリストの永遠の存在についての教えは、旧約聖書の中の神の智恵についての描写を思い起こさせます。こうしてパウロはキリストを「神の智恵」(1コリント 1,24)として紹介し、キリストこそ御父の永遠の救いのご計画の中心であり、その完成であると強調するのです。

聖パウロのフィリピの信徒への手紙に見られるキリスト賛歌(フィリピ2,6-11)には、キリストの永遠の昔からの神としての存在と、「ケノーシス」、死にいたるまでの自己否定との対比が歌われています。

聖パウロはまた、イエスを、神と人の間の唯一の仲介者、すべてのものが造られる前に生まれた方、教会の頭として宣言しながら、神であると同時にまことの人であるキリストを主張しています。

パウロのキリスト論は、十字架にかけられ死にそして復活された永遠の神の子、神のまことの智恵であり力であるキリストによってもたらされた救いを、喜びを持って受け入れるようにと招いているのです。







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