2008-10-02 18:10:59

キリストに一致し、福音と貧しい人々への奉仕を、教皇一般謁見


教皇ベネディクト16世は、1日、一般謁見を行なわれた。

前日午後、カステルガンドルフォでの滞在を終えられ、バチカン宮殿に戻られた教皇は、この朝、聖ペトロ広場で水曜恒例の集いを持たれた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、聖パウロについての考察を続けられた教皇は、同聖人と十二使徒の関係を表す出来事として、エルサレムの使徒会議とシリアのアンティオキアでのエピソードに注目された。

教皇はまず、使徒言行録15章に記された会議、通称「エルサレム使徒会議」に注目された。この会議は、当時のキリスト教共同体の中で緊張を生んでいた、「異邦人の信者たちはモーセの慣習に従って割礼を受けるべきかどうか」という議論に答えを出すためのものであった。

この会議については、パウロ自身、ガラテヤの信徒への手紙(2章)で触れていることを教皇は紹介。ここには、パウロの回心から14年経過した、紀元40年の半ば頃、彼がこの問題について使徒や長老たちと協議するため、バルナバ、テトスと共に、シリアのアンティオキアからエルサレムに上って行ったことが記されている。

パウロはこの会議で、おもだった人たちに、福音がモーセの律法から自由であることを説明した。教皇は、パウロは復活のキリストとの出会いによって、キリストこそが正義であり、キリストに一致したすべてのものが正義であるがゆえに、イエス・キリストの福音を受け入れた時から、異邦人にとって割礼や、食べ物、安息日などのきまりはすでに必要ないことを理解できた、と述べられた。

エルサレム使徒会議で忘れてはならない点として、異邦人に宣教に行くパウロに対し使徒らが「貧しい人たちのことを忘れないように」(ガラテヤ2,10)と頼んでいることを教皇は指摘。キリスト教的自由とは何をしてもよいということでなく、キリストへの一致において、すなわち兄弟たち、特に貧しい人々への奉仕において発揮される自由なのであると説かれた。

続いて教皇は、いわゆる「アンティオキア事件」に言及された。これは、ユダヤ教からキリスト教信者になった人々と、異教人信徒が一緒に食事をすることをめぐるものであった。

ペトロは最初、異邦人と一緒に食事をしていたが、割礼を受けた人々が来ると、彼らを驚かさないように異邦人と食卓を共にしないようになった。この選択にバルナバも同意した。ユダヤ教出身のキリスト教徒と異邦人信徒に深い分裂をもたらし、教会の一致と自由を脅かすこの選択にパウロは激しく反応し、ペトロを非難した。

教皇はこの出来事を、ユダヤ教からキリスト教徒になった人々を守り、驚かせないようにとのペトロとバルナバの気遣いと、キリストの救いの普遍性を誤解されたくないと思うパウロの危機感という、それぞれの側の心配から起きたものであったと説明。おそらく、福音の教えに従ったユダヤ人たちを失いたくないペトロと、すべての人に及ぶキリストの死の救いの価値を減じたくないパウロの、異なる展望があったのだろうと、話された。

教皇は、それぞれのカリスマを与えられたぺトロとパウロのように、聖霊に導かれ、キリストへの信仰において自由に生き、兄弟への奉仕を実践することができるようにと祈られた。







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