2008-08-27 17:33:39

教皇インドの暴力行為ストップ呼びかけ


 8月27日の教皇水曜一般謁見は相変わらす猛暑の続いているローマバチカンの一般謁見ホールで行われた。
午前10時半、定刻通りヘリコプターで、目下滞在中のローマ郊外の避暑地カステルガンドルフォからバチカンに到着された教皇ベネディクト16世は、一般謁見会場のパウロ6世ホールを埋め尽くした全世界各国からの巡礼者たちににこやかに挨拶されながら席につかれ、いつものようにカテケシス(教会の教え)の解説を、はじめにイタリア語で、引き続き同じ内容の要約をフランス語、英語、ドイツ語、スペイン語などヨーロッパ各語で繰り返された。
教皇は今年が使徒聖パウロ生誕2000年を記念する聖パウロ年に当たっていることから、この日のカテケシスも初代教会の偉大な礎となったこの大使徒の生涯の中から主な出来事を取り上げ、キリストの福音の宣教のために惜しみなく全てを捧げて奉仕の中に生きた聖パウロの姿について信者たちに解説された。

まず最初に教皇は、使徒聖パウロの生誕の時期について触れられ、歴史的には正確な日時は伝えられていないもにのの、おそらく紀元8年頃今日トルコ領にあるタルソで誕生したのであろうと今年2008年に彼の生誕2000年を記念する所以を説明された。パウロは海外離散ユダヤ人家庭に生まれ、ギリシャ語を話し、ラテン式の名前もローマ市民権も持っていた。
また聖パウロは生計のためにテント職人という手仕事の業も身に着けていた。教皇は特に、聖パウロの少年期および青年期に受けた教育にも触れ、12歳か13歳の頃、生まれ故郷のタルソをあとにし、エルサレムにおいて、当時有名だったガマリエルというラビの下でユダヤ教の厳格な教理にのっとった教育を受けたことを指摘された。教皇は、この最も厳格なユダヤ教教育の結果、ユダヤ教にとっては当時異端視されていたキリスト教徒たちの迫害にパウロが走ったのだと説明された。
このような歴史的な出来事の中であの有名なダマスコ途上での劇的なパウロの回心が実現すると語られた教皇は、このパウロの回心については来週の一般謁見でのカテケシスで詳しく取り扱うだろうと語られた。 

教皇は聖パウロの生涯についてのカテケシスを終えられた後、各国からの巡礼者たちにそれぞれの国語で心のこもった挨拶を送られ、一般謁見会場に姿を見せていた大勢の神学生たちにも、世俗化が進んだこの現代社会にあってキリストの福音を誠実に伝えていくために霊的にも神学的にも司牧的にも十分な準備するため神との対話である深い祈りと勉学に誠心誠意はげむようにと励まされた。
また教皇は最後に会場最前列に席を占めていた病人たちにも心からの言葉をかけられそれぞれの病苦、苦しみをキリストの十字架の犠牲に一致させ人類の救いためのキリストのみ業に協力するよう激励した。
この一般謁見を閉じる前に教皇はインドで起こっている反キリスト教暴力行為にも触れ、暴力によって何も解決されることはない、あらゆる生命の尊重と対話の実践によって相互理解とお互いの尊重に到るように努力することの必要性を説き、いかなる暴力行為をも直ちに停止するよう力強く呼びかけ訴えられた。







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