2008-06-10 14:17:49

イエスの憐れみを強調、教皇、日曜の集いで


教皇ベネディクト16世は、バチカンで8日、日曜正午のアンジェラスの祈りを信者と共に唱えられた。

祈りの前の説教で教皇は、この日福音朗読されたイエスがマタイを弟子にする箇所(マタイ9,9-13)を観想された。

マタイは徴税人であったが、ローマ帝国政府のために税を集める徴税人はユダヤ人にとって公の罪人であった。イエスは収税所に座っているマタイに自分に従うように言い、彼の家で弟子たちと食事をしていると、ファリサイ派の人々は「なぜ罪人と一緒に食事をするのか」と憤慨した。イエスはこれに対し、「医者と必要とするのは、丈夫な人でなく病人である。…わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」、「『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい」と言われた。

『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』というホセア書(6,6)の言葉は、弟子たちが安息日に麦の穂を摘んで食べ始めたのをファリサイ派の人々からとがめられた際にもイエスによって繰り返され(マタイ12,7)、イエスはここで主の定めた掟を解釈する責任を自分に与えていることを教皇は指摘された。

教皇は、このホセア書の言葉に自身を完全に見出したイエスは、民の頭たちと衝突するという代償を払うまでにその心と態度のすべてをもってそれを自分のものとされたと強調。

この神の言葉は福音書を通してキリスト教のメッセージを要約する言葉の一つとして今日の私たちにまで伝えられ、真の宗教とは神と隣人の愛に基づくことを教え、信仰と守るべきことの実践に価値を与えていると述べられた。

そして、教皇は無限の憐れみである神に子としてすべてを委ね、キリスト教的経験の喜びを生きることができるようにと聖母に祈られた。







All the contents on this site are copyrighted ©.