2008-05-29 14:35:42

大聖グレゴリオをテーマに、教皇一般謁見


教皇ベネディクト16世は、28日、バチカンの聖ペトロ広場で水曜恒例の一般謁見を行なわれた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇は聖グレゴリオ(グレゴリウス)1世教皇教会博士を取り上げ、その生涯を紹介された。

教皇、教父としてのその偉大さゆえに「マーニュス(偉大な)」という称号で呼ばれる大聖グレゴリオ(在位590-604)は、540年頃、ローマ貴族アニキウス家に生まれた。信仰に篤く、使徒座への奉仕で知られるこの一族からは、すでにフェリクス3世(483-492)、アガペトゥス1世(535-536)の2人の教皇を輩出している。

グレゴリオは若くして行政職にたずさわり、572年にローマの知事となった。行政官としてあらゆる種類の問題に取り組んだこの時期に得た体験、特に秩序と規律の精神は、後に教皇となってから役立つことになった。

しかし、この生活に満たされなかったグレゴリオは、社会的な地位を捨て、自分の家を修道院とした修道生活に入った。彼は祈りと観想の生活を通し、聖書と教父たちの教えについて深い理解を養った。

もっともその修道生活を長く続けることはかなわず、彼は当時の教皇ペラギウス(579-590)より助祭にされ、コンスタンティノープルに教皇使節として派遣された。それはまだ引きずっていたキリスト単性論論争を乗り越え、またランゴバルド族の圧力を抑えるよう皇帝の支援を得るためであった。

数年後、ローマに再び呼ばれたグレゴリオは教皇の秘書に任命された。それは大雨や飢饉、ペストなどの試練に満ちた時代であった。590年、教皇ペラジウス自身もペストで亡くなると、人々は満場一致でグレゴリオを教皇に選んだ。彼はそれを避け、身を隠すまでしたが、最後にはそれを神の御旨として受け入れた。

教皇グレゴリオは現実に対する把握・洞察力に優れ、教会・社会両面の問題に常に決断と勇気、バランスをもって対処した。

当時のローマとイタリアを特に揺るがせていたのは、ランゴバルド族の侵入問題であった。グレゴリオはその真の平和的解決を目指してできる限りの努力をした。ビザンチン皇帝がランゴバルド人を打ち負かすべき野蛮な略奪者としてもっぱら考えていたのに対し、グレゴリオは彼らを司牧者の目で見つめ、彼らに福音を伝え、相互尊重に基づく平和な共存のために友好的関係を築くことに留意した。彼はこうして、同様に西ゴート族、フランク族、サクソン族らに対する宣教にも力を注いだ。

また、彼は霊的・司牧的活動の傍らで、様々な社会活動をも行なったことで知られる。教会の財産から得た収入で穀物を買い、貧しい人々に配給したほか、困窮した司祭や修道者を助け、捕虜となった人々の身代金を払い、休戦のために出費した。教会財産が正義といつくしみの規範のもと使用されるよう正確な規則を示し、その管理制度を再構築した。

このようにグレゴリオが教会と社会に残した多大な功績を紹介されたベネディクト16世は、不安定な健康、時代の重大な試練の中で、彼がこれらの偉業をなしえたのは、生活の聖性と豊かな人間性によるものであったと話され、神に浸り、神の望みを心の中に生かし続けたこの偉大な教皇を振り返られた。
 







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