2008-04-15 15:50:44

ヨハネ・パウロ2世帰天3周年:追悼ミサ・教皇説教抄訳(2008.4.2)


親愛なる兄弟姉妹の皆さん

4月2日は、神のしもべ教皇ヨハネ・パウロ2世の逝去の日として、いつまでも教会の記憶に残ることでしょう。数限りない巡礼者たちが教皇の死の知らせを受けてローマにやって来ました。3年前のあの日と同じように、ご復活の大祝日を迎えて間もない今日、教会はいまだキリストの復活の神秘に深く浸っています。

ヨハネ・パウロ2世の全生涯、特に聖ぺトロの後継者としての彼の働きは、復活されたキリストのしるしの中に見出されます。ヨハネ・パウロ2世は復活されたキリストへの大きな信仰を養い、キリストとの親しい対話に長く浸っていました。人間的にも超自然的にもたくさんの素晴らしい素質を持った前教皇は、特に霊的で神秘的な優れた感性を備えていました。祈っているその姿を見ただけで、どれほど深い祈りに沈んでいたかが一目瞭然でした。文字通り、神の中に沈み込み、まるで神以外の他の事柄はすべて目の前から消え去ってしまっているかのようでした。ミサ聖祭はヨハネ・パウロ2世にとって、一日の、いやその全存在の中心でした。聖体の聖なる生きた現実は、教皇に歴史の歩みの中で神の民を導くための霊的な力を与えていたのです。
    
ヨハネ・パウロ2世は、復活節第2主日の前晩に息を引き取りました。その最後の苦しみは、キリストの死と復活を記念するその日一日中続きました。まさしくヨハネ・パウロ2世の教皇としての生涯はキリストの復活の証しであり、またそのしるしのようなものでした。キリストの復活の神秘は、ヨハネ・パウロ2世の生涯を、神である救い主、また師である方の苦しみと死に参与することによって、主の召し出しへの全面的な答えとしたのです。

使徒聖パウロは言っています。「もしキリストと共に死ぬなら、キリストと共に生きるであろう。もしキリストと共に耐え忍ぶなら、またキリストと共に支配するだろう」。     

カロル・ボイティワは、この言葉の真理を家庭において、またその祖国において、十字架に出会うことにより子供の頃から体験しました。教皇は、イエスの跡に従い、イエスと共に十字架を担うことを、早くから決意しました。キリストと共に生き、キリストと共に死ぬことを望みました。そして、教会の母、救い主の母である聖母マリアの生涯を特別に黙想することによって、すべてをキリストの死と復活に結び付けていったのです。

今、私たちが耳にしたばかりの復活の天使の言葉「恐れるな」は、空の墓の傍らにたたずむ婦人たちに向かって言われた言葉です。この言葉はヨハネ・パウロ2世にとっては、その教皇職の初めから特別なモットーとなりました。彼はこの言葉を2000年の大聖年に向かって歩む教会と全人類に繰り返しおくりました。ヨハネ・パウロ2世教皇にとってのあの最後の聖金曜日の苦しみの中で、彼はすべてのキリスト者たちに、また世界に、キリスト教の全生活の秘訣を雄弁に指し示しました。

教皇が常に繰り返した言葉「恐れるな」は、決して人間的な力や、彼が絶えず獲得していた成功によるものではなく、神のみ言葉と十字架、キリストの復活にその基礎を置くものだったのです。少しずつ、教皇はすべてを剥奪されていきました。そして最後には、その言葉すら取り去られていったのです。こうして教皇がそのすべてをキリストに委託していったということが、人々の目にもますますはっきりと表れていきました。

イエスのように、ヨハネ・パウロ2世も最後にはまったく自分自身を犠牲とし捧げ尽くしたのです。その死は、キリストにくまなく捧げ尽くしたその生涯の刻印のようでした。教皇の生涯は、その苦しみと天の御父に対する信頼に満ちた委託において、肉体的にもキリストの生涯に似たものとなりました。

最後まで教皇の近くにいた人々が聞いた「父のもとに行かせてください」という最後の言葉は、主のみ顔を観想し知るためにすべてを賭けたその全生涯を完成に導く言葉だったのです。

今日この記念ミサに参加してくださったすべての兄弟姉妹たちに心から感謝します。この忠実で勇敢なしもべを教会に与えてくださった神に感謝しましょう。絶えず教皇を見守り続けてくれた 聖母マリアをも賛美し祝しましょう。
 







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