2008-03-26 15:31:34

復活祭:ウルビ・エト・オルビ・教皇メッセージ(2008.3.23)


「私は復活した。今、私はいつもあなたと共にいる。アレルヤ」

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、十字架上で死に、そしてよみがえられたイエスは、今日、私たちにこの喜ばしいメッセージを繰り返します。

これこそ復活メッセージです。心の底から感謝をこめてこのメッセージを受け取りましょう。
「私は復活した。今、私はいつもあなたと共にいる」

詩編139番(18b)からとられたこの言葉は、今日のミサのはじまりに唱えられる言葉です。教会はこれらの言葉の中に復活祭の朝、イエス自身の言葉を認めます。イエスは死からよみがえり、愛と幸せにあふれて御父に向かって叫びます。「わが父よ、私はよみがえりました。私はあなたと共にいます。いつまでもあなたと共にいるでしょう。あなたの霊は私を決して見捨てはしませんでした」。

私たちはこのようにして詩編の他の言葉も新しい解釈をもって理解することができるのです。「天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたはそこにいます。闇もあなたのためには闇ではありません。夜も昼のように明るい。あなたにとって闇は光のように明るい」(139・8,12)。

そうです。荘厳な復活前夜、闇は光となり、夜は決して陰ることのない昼にその座を譲ります。人となった神のみことばの死と復活は、究極の愛の出来事であり、私たちを罪と死のくびきから救い出してくれた愛そのものの勝利です。 そしてさらに、人類の生活に消すことのできない新しい意義と価値を与え、歴史の流れを完全に変えたのです。
「私は復活した。今、私はいつもあなたと共にいる」

この言葉は私たちの心の中で響きながら、復活されたキリストを観想するよう招いています。ナザレのイエスは、その救いをもたらす犠牲によって、私たちを神の子としてくれました。こうして今、イエスと御父との間に交わされる神秘的な対話に私たちも加われるようになったのです。

ある日、イエスが聴衆に向かって言ったあの言葉が思い出されます。「すべてのことは、父から私に任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません」(マタイ11・27)。

このような見方から今日、復活されたイエスが御父に向けた言葉「今、そしてこれから、いつまでもあなたと共にいる」が 、私たちにも関わることでもあることに気づきます。

「 もし神の子供であれば、キリストと共同の相続人でもあります。もし本当にキリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるのです」(ローマ8・17)。

キリストの死と復活によって、私たちも今日、新しい生命によみがえります。そして、私たちもキリストに声を合わせ、限りなく優しく憐れみ深い私たちの父である神と共にいつまでも留まりたいという望みを表明しましょう。

こうして私たちも過ぎ越しの神秘の奥深くに入ります。 イエスの復活という驚愕すべき出来事は、本質的に愛の出来事だといえましょう。世の救いのためにその御子を渡される御父の愛、私たちすべてのために御父のみ旨にご自分をすっかりゆだねる子の愛、変容された肉体をもって死者の中からイエスを復活させた聖霊の愛の出来事です。そしてさらに、子をご自分の栄光で包み込む御父の愛、変容された私たちの人間性をまとって聖霊の力によって父のもとに帰る子の愛なのです。

イエスの復活というまったく特別な体験をさせてくれる今日のこの大祝日から、愛に立ち戻れという呼びかけが届きます。憎悪と利己主義を拒否して生きるようにとの招きが届きます。私たちの救いのためにほふられた子羊の後に素直に従うように、「私たちの霊魂の憩い」であり「心の柔和で謙遜な者」である救い主に倣うようにとの招きが届くのです。

世界中のキリスト教徒の兄弟姉妹の皆さん、そして真理に開かれた誠実な心を持つ男女の皆さん、救いをもたらすこの全能の愛に誰も心を閉ざすことがありませんように。イエス・キリストはすべての人々のために死に、そしてよみがえられました。復活されたキリストは私たちの希望です。全人類のための真の希望です。今日、復活されたイエスは天の御父のもとに帰られる前に、ガリレアでその弟子たちにされたように、私たちをもその希望の証人として世界中に派遣されます。そして、さらに「私はいつもあなたがたと共にいる。世の終わりまで、毎日あなたがたと共にいる」(マタイ28・20)と保証してくださいます。

変容された主の御身体の輝く傷に、心の眼差しを向けましょう。そうするなら、苦しみの意味と価値を理解し、また今日も人類に血を流させ続ける多くの傷を癒すことができるでしょう。私たちはキリストの輝かしい傷の中に、預言者が語っている神の無限の憐れみの決して消えることのない印を見てとるのです。主は打ち砕かれた心を癒し、弱い人々を守り、奴隷たちには自由を宣言し、嘆き苦しむすべての人々を慰め、喪服の代わりに喜びの香油を注ぎ、暗い心ではなく賛美の歌をもたらすのです(イザヤ61・1,2,3)。

謙虚な信頼をこめてキリストに近づくなら、主の眼差しの中に、神を知り生命に満ちた関係を神と結びたいという、私たちの心の最も深い願望への答えを見出すでしょう。その生命そのもので私たちの存在と、人と人との関りや社会関係も満たされるのです。ですから、このためにも人類はキリストを必要としています。なぜなら、聖パウロが言うように「私たちの希望、キリストにおいて私たちは救われている」(ローマ8・24)からです。
人と人との関係、グループ同士の関わり、民族間の関係は、愛ではなく、むしろどれほど利己主義や不正、憎悪、暴力によって支配されていることでしょう。それは、今日、この地球中のいたるところで開かれ痛みをもたらしている人類の傷です。それは、しばしば誰からも知られず、時にはわざと隠されていますが、私たちの無数の兄弟姉妹たちの心と身体を痛めつけている傷なのです。これらの傷は、復活された主の栄光ある傷によって、またキリストの後に従い、キリストのみ名において愛の行為を実践する人々、正義のために具体的に献身する人々、流血の絶えない紛争地において、また人間の尊厳が蹂躙され押しつぶされているいたる所で、希望の輝かしい印を周囲に振り撒いている人たちの連帯によって、癒され完治することを期待しているのです。まさしくそこから柔和と赦しの証しが広まることが期待されています。
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、この荘厳な日の輝かしい光に照らされましょう。すべてを新たにする過越の神秘の力が、私たち一人ひとりの中に、そして私たちの家庭の中に、私たちの町々、国々にも、その働きの効果を十分に示すことができるよう、復活されたキリストに誠実な信頼をこめて心を開きましょう。

今、この時にあって、特にダフール地方やソマリアなどアフリカのある地域、聖地、イラクやレバノンをはじめ困憊する中東、そしてチベット、これらの国々のことを考えずにはいられません。私はこれらの地域に善と平和を守るための解決策を見出す努力を続けるよう励ましたいと思います。

無実であったにもかかわらず十字架に付けられたイエスの受難と苦しみを共にした後、御子の復活の言い尽くしえない喜びをも共に味わった聖母マリアの取次ぎによって、満ち満てる復活の恵みを祈り求めましょう。

キリストの栄光に参与された聖母マリアが、兄弟愛に満ちた連帯と平和への私たちの道のりを見守り導いてくださいますように。

これが、ラジオやテレビを通してあらゆる国々・大陸から私たちと心を合わせている皆さんすべてに私がおおくりする、復活祭の心からの祈りと希望です。

ご復活おめでとうございます。







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