2008-02-26 18:20:47

教皇、エクアドルの自然災害被災地に支援呼びかける、日曜正午の集い


教皇ベネディクト16世は、24日、ローマの小教区サンタ・マリア・リベラトリーチェ教会の訪問を終えられた後、正午にバチカンでアンジェラスの祈りの集いを持たれた。

この中で教皇は、自然災害の相次ぐエクアドルへの支援をアピールされた。同国では再び活発化したトゥングラウア火山の噴火に加え、このところの大雨で沿岸地方を中心に大きな被害を記録した。教皇はこれらの災害の犠牲者の冥福を祈られると共に、不安な被災生活をおくる人々に連帯の業を示すよう広く呼びかけられた。

教皇は集いの説教で、この日の福音朗読箇所、イエスとサマリアの女の対話(ヨハネ 4,5-42)を再びテーマとされ、このエピソードを読み・観想し、そのメッセージの豊かさを味わうよう招かれた。

旅に疲れて井戸のそばに座ったイエスから「水を飲ませてください」と言われたサマリアの女が、ユダヤ人が普段は交際しないサマリア人、しかも見知らぬ女性に声をかけたというだけでなく、「永遠の命に至る水がわき出る泉」について話すばかりか、彼女の個人的な生活を知っており、さらには自分がメシアであることまで告げるイエスに、ますます驚きを増していく様子を教皇はたどられた。

教皇は、ヨハネによる福音書は、サマリアの女との出会いに始まり、仮庵祭中の「生きた水の流れ」についての預言(7,37-38)、十字架上での「渇く」という言葉(19,28)に至るまで、「渇き」というテーマが一つの軸となっていることを指摘。「キリストの渇きは神の神秘への入り口であり、イエスは私たちを豊かにするために貧しくなられたように、私たちの渇きを癒すために渇かれた」と話された。

「神は私たちの信仰と愛に渇いておられる」と述べた教皇は、井戸への往復が日常生活への惰性と諦めの象徴に過ぎなかったサマリアの女が、イエスとの対話の日から大きく変わったように、私たちもメシアとして愛を啓示されるイエスに出会うために、心を開き神のみ言葉に耳を傾けるべきと説かれた。







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