2008-01-31 17:17:17

アウグスティヌスをテーマに、教皇一般謁見・カテケーシス要約(2008.1.30)
 


教皇ベネディクト16世は、バチカンで30日、水曜恒例の一般謁見を行なわれた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で教皇は、初代教会時代の偉大な教父、ヒッポの聖アウグスティヌスを再び取り上げられ、この日は特にアウグスティヌスの生涯における決定的な主題である「理性と信仰」について考察された。

カテケーシスの要約は以下のとおり。

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親愛なる兄弟姉妹の皆さん

今週のカテケーシスでも、ヒッポの聖アウグスティヌスについての考察を続けましょう。

今日は特にこの偉大な教会博士の教説について一緒に考えたいと思います。

聖アウグスティヌスは、熱烈な信者として信仰と理性の両方の重要性を認識していました。彼は「理解するために信じ、信じるために理解する」必要があるのだと教えていました。たとえ神は私たちの人間理性の限界をはるかに超越した存在であったとしても、自分自身を私たちの理性にも理解できるようにしてくださいます。

アウグスティヌスは、次のような美しい言葉を残しています。「神は私の最も奥深いところよりももっと私の身近におられます」。

聖アウグスティヌスは、私たちは教会に属することによってキリストにより近くなり、深く彼に一致し、そして、私たちも「キリスト」となると教えています。

なぜなら、教会はキリストの神秘体であり、キリストはその頭、私たちはその肢体だからです。 キリストは私たちの頭として、私たちの中で祈られます。また、私たちの司祭として、私たちのためにも祈られます。そして、私たちは、私たちの神としてキリストに祈るのです。

もし、聖アウグスティヌスに現代の人々への特別なメッセージを願ったとしたら、何と答えることでしょう。おそらく彼は現代の人々に真理を追究する必要性を強調することでしょう。

聖アウグスティヌスが神の真理を追究した際のその方法について、彼の言葉に耳を傾けてみましょう。
「神よ、あなたは、あなたが創造された美しい被造物の中に、すなわち私の外側で、私があなたを探し回っていた時、あなたは私の中におられました。あなたはいつも私と共におられましたが、私の方があなたと共にいませんでした。あなたは私を呼び、私に叫び、私の耳を開いてくださいました。私はあなたを味わいました。そして今では私はあなたに飢え、渇いているのです」。

私たちも聖アウグスティヌスのように、神の真理を知るという喜びを見出すことができるよう祈りましょう。
 







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