2007-12-13 17:46:58

ノラの聖パウリノ司教を考察、教皇一般謁見


教皇ベネディクト16世は、バチカンで12日、水曜恒例の一般謁見を行なわれた。

謁見中のカテケーシスで教皇は、初代教会の教父の考察として、ノラの聖パウリノを取り上げられた。

聖パウリノは4世紀半ばフランスのボルドーの上流階級の家庭に生まれた。詩人アウソニオのもとで学び、深い文学的素養を身につけた彼は、若くして南イタリア・カンパニアの総督となった。この地方で崇敬された殉教者聖フェリクスの巡礼地を整備し、救貧院を建てるなど、この頃、彼の心にはすでにキリスト教への回心の芽生えがうかがわれる。

人生の意味を模索するパウリノは、ミラノの聖アンブロジオのもとに通い、続いて故郷で教理の勉強を終え、ボルドー司教デルフィノから洗礼を受けた。バルセロナの貴族出身で非常に信心深いテラシアと結婚し、幸福な生活を送っていたが、幼い息子の死をきっかけに厳格な修徳生活に入った。

テラシアの同意のもと、所有する財産を売り払い貧しい人に施して、ノラの聖フェリクスのバシリカの隣に移り住み、夫婦そろって貞潔と清貧のうちに修道的生活を続けた。バルセロナで司祭に叙階され、409年にはノラの司教に選ばれた。精力的に司牧を行ったパウリノは、貧しい人々に特別な関心を払い、異民族の侵入により悲劇的な被害を受けた町で、人々と労苦を共にした。

このように聖パウリノの生涯を紹介された教皇は、中でも彼の回心と富の放棄が同時代の人々に引き起こした驚愕を回想。パウリノが財産を貧しい人々に施したのは、地上の富の軽蔑によるものではなく、愛というさらに高い目的のためにそれを活かすためであったと指摘した。

パウリノは信仰を抱くことで文学的才能を捨て去ったのではなく、彼の詩はむしろ福音によって高められ、信仰と愛と救いの歴史を歌い、「私にとって唯一の芸術は信仰、私の詩はキリストです」と言うまでになったこと、また、彼の財産の放棄を驚く人々に、富を捨てることは単なる始まりに過ぎず「競技者は闘いの前に衣服を脱いだ段階で勝つのでなく、立派に闘い抜いた後にこそ勝利するのです」と言ったことなどを教皇は思い起こされた。

教皇は、聖パウリノの弱い人々への特別な愛を示すものとして、貧しい人たちのために自ら物乞いし、彼らをキリストご自身のように自分たちの修道院の一角に迎えていたこと、
彼の賛歌や書簡が教会の一致の神秘への思いに満たされていたように、彼自身多くの人々と精神的な友情で結ばれ、その中にはツールの聖マルチノ、聖ヒエロニモ、聖アンブロジオ、聖アウグスティヌスらがいたことなどを紹介された。

そして教皇は、聖パウリノの証しに倣い、教会を「神との親密な交わりと全人類の一致のしるし」の秘跡(教会憲章1)として自覚していくことができるようにと願われた。







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