2007-10-05 13:56:40

ポーランド出身のコズロヴィッチ枢機卿逝去、ザンビア宣教に生涯捧ぐ


ポーランド出身のコズロヴィッチ枢機卿は、28日、ザンビアのルサカで逝去した。96歳だった。

イエズス会士である同枢機卿はザンビアで宣教、最初のルサカ大司教として福音の普及に努めた。

教皇ベネディクト16世は、コズロヴィッチ枢機卿逝去の報に深い哀悼を表され、ルサカ大司教区関係者に宛て弔電を送られた。この中で教皇は同枢機卿の長年にわたる熱心な宣教・司牧活動、福音と普遍の教会への不屈の奉仕を感謝をもって思い起こされた。

アダム・コズロヴィッチ枢機卿は、1911年、ポーランドのフタ・コモロウスカに生まれた。イエズス会系の学校で学び、1929年、同会に入会。1937年司祭叙階。第2次世界大戦開始直後の1939年11月、クラクフのイエズス会神学校で他の24人の修道者と共に逮捕され、最初はアウシュビッツ、そしてダッハウの強制収容所の囚人となった。

米軍兵士らによって強制収容所から解放された後、ポーランドのイエズス会のミッションに参加し、北ローデシア、現在のザンビアへと向かった。同地で教育事業や小教区活動など多くの奉仕を忍耐と勇気をもって広げ、1959年、ルサカの最初の大司教に任命された。

社会、政治の変動の激しい当時のアフリカで、民族平等や正義を訴え、他の宣教師らと共に1964年のザンビア独立までの歩みに重要な役割を果たした。
現地の聖職者の要職への起用を積極的に提言。教区長としての一線を退いた後もザンビアに留まり、一宣教師として各地で奉仕した。
1998年、87歳で枢機卿に任命された。この際、コズロヴィッチ枢機卿は、時の教皇ヨハネ・パウロ2世に宛てた感謝の手紙でこのように記している。

「教皇様、はっきり申し上げて私はこの任命の知らせに完全に動転いたしました。87年間、まったく別のことに没頭していましたので、これを理解し頭の中を整理するのに大変苦労しました。教皇様に接吻し、深い感謝をもってこの信頼のしるしをお受けします。特に、神の御旨のために単なる宣教師として教会と貧しい人々や両親を知らない兄弟姉妹のために奉仕するすべての仲間への信頼のしるしとしてこれを受け止めます。私は、イエズス会士とは何であるか、次いで司祭とは何であるかを教えられました。これから私は枢機卿とは何であるかを学ばなければなりません。これは誰も教えてくれなかったからです。」

コズロヴィッチ枢機卿の逝去によって、現在の全枢機卿数は180人、そのうち教皇選挙の投票権を持つ80歳未満の枢機卿は104人、投票権を持たない80歳以上の枢機卿は76人となった。







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