2007-10-05 14:57:25

アンジェラスの祈り・教皇説教


親愛なる兄弟姉妹の皆さん

今日のミサ中朗読されたルカの福音書では、金持ちと貧乏人ラザロのたとえ話が語られています。

たとえ話の金持ちは、自分の家の門前で苦しんでいる貧しい人を無視し、その苦しみに目もくれず、贅沢三昧と自分自身の楽しみのためだけにこの世の富を不正に使用することを表しています。

また、貧しい人はその反対に、神だけからしか世話を受けられない人を表しています。たとえ話の中のあの金持ちとは異なり、この貧しい人には名前があります。ラザロと呼ばれています。ラザロはエレアザロの略称で、エレアザロは「神が助ける者」という意味です。

皆から忘れ去られた人も、神はその人を忘れることは決してありません。人間の目には何の価値もない人でも神の目には尊いのです。

福音のたとえ話は、この地上の不正が神の正義によってどのように逆転させられるかを示しています。ラザロは死後「アブラハムのふところ」すなわち永遠の幸福の中に受け入れられ、金持ちの方は「苦しみに満ちた地獄」に陥れられます。それはもう決定的な状況で変えることも引返すこともできません。 それは生きている間に気づくべきで、死後にはもういかなる手立てもありません。

福音で語られているこのたとえ話は、キリスト教の社会教説の理解の鍵を与えてくれます。教皇パウロ6世の回勅「ポプロールム・プログレッシオ」もこの地上の富の公正な使用と分配、連帯および相互援助の必要性などについて説いています。

私たちはどのような道を歩むべきか、どのような方法を実行すべきかを、知らないとは言えません。

福音の中でもイエスご自身が言っているように、私たちには律法とモーセの教えがあります。もし彼らの言うことに耳を貸したくないなら、たとえ死者の中から誰かが現れ諌めても何の効果もないでしょう。

神の言葉に耳を傾け、忠実に実行するために今の時を利用できるよう、聖母マリアが私たちを助けてくださいますように。そして、苦しんでいる兄弟たち、必要に迫られている兄弟たちにもっと注意を向け、真の連帯精神をもって彼らを助け、この世の富を分かち合うことができますように。







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