2005-04-24 17:20:00

ベネディクト16世、教皇職開始祝う荘厳ミサ


教皇ベネディクト16世の教皇職の開始を祝うミサが2005年4月24日、バチカンでとり行われた。

うすぐもりの比較的穏やかな天候のもと聖ペトロ広場で行われた儀式には、およそ40万人が参加、次々に押し寄せる人の波にバチカン周辺全体が広大な会場と化した。地元イタリア、そして教皇の出身国ドイツはもとより、世界各国から訪れた信者たちはそれぞれの国旗を振り、喜びの言葉を記したプラカードや横断幕があちらこちらに掲げられた。

ミサ入祭前、教皇は大聖堂の中央祭壇下の階段を降りて聖ペトロの墓に赴き、墓前でしばし祈りを捧げられた。

そして、ミサを共同司式する枢機卿たちと大聖堂内を玄関に向かって行列された教皇は、やがて人々の待つ聖ペトロ広場へ姿を見せられ、温かい拍手に迎えられた。

ミサはラテン語で行われ、福音朗読にはヨハネによる福音21章15-19節、イエスがペトロに「わたしを愛しているか」と三度尋ね、「わたしの羊の世話をしなさい」と命ずる場面が読まれた。

この後、ペトロの使徒職を象徴するパリウムと漁夫の指輪を教皇に託す儀式が行われた。

教皇パウロ6世の時代までは着座にあたりティアラとよばれる三重冠を受けていたが、後にパウロ6世はこれを放棄し、貧しい人々のために寄贈。続く教皇ヨハネ・パウロ1世の着座式からは、三重冠の代わりにパリウムと呼ばれる細長い帯状の肩衣を受けるようになり、以後この簡素化された様式が踏襲されるようになった。

教皇の受けたパリウムは聖アグネスの日に祝別された子羊の毛を織って作った長さ2.6メートル、幅11センチのもの。これを肩に掛けることは羊を背負った善き羊飼いの姿を象徴する。白い生地にはキリストの聖痕を表す5つの赤い十字が刺繍され、両肩に掛けた後、十字架の釘を表す3つのピンで留められる。

パリウムに続いて、教皇は漁夫の指輪を受取られた。印章としての役割を持つこの指輪には、船の上から網を投げ打つペトロの姿と教皇名が刻まれている。これは「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(マタイ4、19)というイエスの言葉や、イエスの言葉に信頼し網を降ろすと大量の魚がかかる「奇跡のすなどり」のエピソード(ルカ5章)を想起させるもの。

この後、教皇は人々をキリストの愛へと招く、非常に率直で真摯な説教を行なわれた。30分以上にわたるこの説教は、何回も人々の拍手で中断された。

教皇は、故教皇ヨハネ・パウロ2世の逝去からコンクラーベ、教皇選出に至るまでの期間、教会は孤独ではなく、いかに多くの聖人、神の友人たちの祈りに取り巻かれ支えられていたかを思い起こされ、「教会は生きている」と喜びと感謝を持って強調された。

教皇職を開始するにあたり「私の真の計画は自分の意志や考えを追うことではなく、全教会と共に主のみことばとみ旨を聞き、主に導いていただくこと」と述べた教皇は、パリウムと漁夫の指輪に込められたペトロの後継者の使命を説かれた。

パリウムは、喜びを持って背負うべきキリストのくびき、神のみ旨の象徴であると同時に、羊飼いが肩に背負って命の水まで導いていく、迷子の、病んだ、弱い羊の象徴でもあると説明。人類は砂漠の中で道に迷った羊であり、キリストはその哀れな状態を見捨てず、自ら天の栄光を捨て、迷った羊を見つけ、十字架に至るまでそれを追われたと指摘、パリウムによってまず自分がキリストに背負われた存在だと気付くと述べた。

貧困、飢餓、孤独、神が見えない状態、人間の尊厳と歩みを理解できない空虚な魂といった多くの砂漠がこの世に存在することを指摘した教皇は、「外面的砂漠が広がるのは、内面的砂漠がこれほどにも大きくなったため」と述べ、司牧者は人々を砂漠の外に連れ出し、命の与え主キリストへと導かねばならないと、その使命を明らかにされた。

そして、故教皇ヨハネ・パウロ2世の「恐れてはなりません。キリストに扉を開いてください」という言葉を繰り返された教皇は、「キリストを心に迎えることは人生から自由を取り去ることを意味しない、むしろキリストとの友情だけが真の命を与えるのだ」と、若者をはじめ、すべての人に呼びかけられた。

この後、枢機卿・司教・司祭・助祭・修道者・信徒と、教会の成員を表す12人の代表が教皇の前に歩み出て、従順の意を示した。教皇は始終笑顔でこれらの人々を一人ずつ祝福された。

ミサの終わりに教皇は祝福をおくられ、喜びの中で人々はレジナ・チェリを合唱。続いて教皇は白いジープに乗られ広場をめぐり、人々の歓声に応えられた。

 

 








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