2018-06-21 18:56:00

「主の祈りにある、キリスト者の根源」教皇、ジュネーブでミサ


教皇フランシスコは、訪問先のジュネーブで、スイスのカトリック信者らと共にミサを捧げられた。

教皇は、6月21日、世界教会協議会(WCC)の創設70周年を機会にジュネーブを訪れた。

ジュネーブ市内のエキュメニカル・センターで、キリスト教諸教会の代表らとの祈りの集いや、WCC関係者との出会いを持たれた教皇は、同日夕方、見本市会場・パレクスポで、ミサを司式された。

教皇ミサには、スイス全土からおよそ4万人の信者が参加した。

ミサ中の福音朗読箇所、マタイ福音書(6,7-15)の、イエスが弟子たちに祈りを教える場面を取り上げて説教を行われた教皇は、「御父」「パン」「赦し」の3つの言葉を、わたしたちを信仰の中心に導くものとして示された。

イエスが弟子たちに教えた祈りは、「天におられるわたしたちの父よ」という呼びかけで始まる。

教皇は、神は無限で永遠であるが、まず第一に「父」であると強調。「父よ」という呼びかけは、神の心に入るための鍵であり、「父よ」と言うだけで、わたしたちは「キリスト教という言語」で祈ることになると話された。

「主の祈り」は、「愛されている子たち」であるという、わたしたちのアイデンティティーを表す「式文」であると教皇は語った。

「主の祈り」を唱えるたびに、わたしたちは自分たちの根源を取り戻すことができる。これはルーツを失った今日の社会において、わたしたちに必要なことである、と話された。

「父」がいるところでは、誰もが除外されないと教皇は述べ、子であるわたしたちは、この「家族」を大切にし、兄弟たちと互いに愛し合わなければならないと説かれた。

イエスは「わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください」と父に願うようにと言われる。願うのは、その日に必要な「糧=パン」だけであり、それ以上のものは望まない。

教皇は、日ごとの糧を父に祈り求めることは、すべての人に必要な糧がいきわたるように願うと同時に、「父よ、簡素な生活ができるよう助けてください」ということでもある、と指摘された。

わたしたちが忘れてはならないことは、日ごとの糧(パン)とは、すなわちイエスであるということ、と教皇は述べ、イエスなしでは、わたしたちは何もできない(参照:ヨハネ15,5)と話された。

「主の祈り」の内容の中で、イエスが唯一コメントを加えているのは、「わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします」という部分であること(参照:マタイ6,14-15)に教皇は注目。

「赦し」は、「主の祈り」の中でも動かしがたい要素であり、神はわたしたちの心をあらゆる罪から解放されるが、わたしたちもまた、絶えず人を赦し続けるようにと望んでおられると話された。

「赦しは、人を新たにし、奇跡を起こす」と教皇は述べ、イエスの赦しを体験し、イエスの群れの牧者となったペトロ、ステファノの赦しを目の当たりにし、回心したパウロらを思い起こされた。

教皇は「わたしたちは父から赦され、兄弟たちを愛することで、新しい人間に生まれ変わる。赦しは、悪を善に変える」と、赦しの力を説かれた。

こうして、教皇は一日にわたる、ジュネーブ訪問を終えられた。

 








All the contents on this site are copyrighted ©.