2018-05-02 12:16:00

洗礼式の「水」が象徴するもの、教皇一般謁見


教皇フランシスコは、バチカンで5月2日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシスで、教皇は洗礼の秘跡をめぐる考察として、洗礼式の中心である洗礼盤の前で行われる儀式を解説された。

教皇はまず、洗礼式の重要なシンボル「水」に注目された。

水は命と健康の源であり、水の欠如はあらゆる豊饒性を干乾びさせ、砂漠のようにしてしまう。一方で、水は波や大量の水に沈むことで死の原因ともなる。また、水は洗い、清める力も持つ。

水の持つ力についてこのように話された教皇は、聖書には、神の働きかけや約束が水のしるしを介して行なわれる様子が描かれていることを指摘。

しかしながら、罪を赦す力は水そのものにはなく、「すべての水が癒すのではなく、キリストの恵みを持つ水が癒す。行為は水によるものであるが、その効果は聖霊によるものである」と説く聖アンブロジオの言葉を引用された。

それゆえ教会は、洗礼を受ける人々が「キリストと共に死に沈められ、キリストと共に死ぬことのない命に復活する」ことを願い、水の上に聖霊の働きを祈る。

洗礼の水を祝福する祈りの中では、「洗礼のしるしとなるように」と神が水を用意されたということを示し、天地の創造にあたり「神の霊が水の面を動いていた」(創世記1,1-2)ことから、洪水(創世記7,6-8,22)、葦の海の奇跡(出エジプト14,15-31)、イエスのヨルダン川での洗礼(マタイ3,13-17)、イエスのわき腹から流れ出た血と水(ヨハネ19,31-37)、すべての民に父と子と聖霊の名によって洗礼を授けるようにとの復活したイエスによる弟子たちの派遣(マタイ28,19)に至るまで、聖書における水と洗礼を象徴する箇所が思い起こされることを教皇は紹介された。

洗礼の水が聖別された後には、洗礼に臨む人の心を準備する必要がある。教皇は、そのために「悪霊の拒否」と「信仰宣言」が洗礼志願者によって行なわれることを説明。この二つは緊密に結びつき、どちらが欠けてもならないと強調された。

問答形式で行なわれる「悪霊の拒否」では、「悪」、「罪の業」「神に反するすべてのもの」を退けるかと聞かれ、洗礼志願者は「退けます」と答える。

同様に、洗礼志願者は「信仰宣言」を通して、教会の信仰を「信じます」と宣言する。

教皇は、この信仰宣言は責任ある選択、神への信頼を具体的に表す行為であると述べた。

信仰宣言をすることは、同時に信者であることの義務を引き受けることでもあるが、その洗礼自体がどんな困難の時も信仰を保てるよう助けてくれると話された。

教皇は、わたしたちが聖水に手を浸し、十字架のしるしをする時、自分が受けた洗礼を喜びと感謝を持って思い出し、至聖なる三位一体の愛に浸されて生きるために、わたしたちの「アーメン」を新たにしましょう、と呼びかけられた。

 

 








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