2018-04-20 16:00:00

「立ち上がり、外に出よう」教皇、モルフェッタでミサ、ベッロ司教を追憶


教皇フランシスコは、4月20日、南イタリア・モルフェッタでミサを捧げ、帰天から25年を迎えたトニーノ・ベッロ司教を思い起こされた。

神のしもべ・トニーノ・ベッロ司教(1935-1993)は、プーリア州アレッサーノに生まれ、司祭叙階後、ウジェント=サンタ・マリア・ディ・レウカ教区で司牧。後、モルフェッタ=ルーヴォ=ジョヴィナッツォ=テルリッツィ教区の司教となった。福音のために自らを捧げ切ったベッロ司教は、58歳で同州モルフェッタで没した。

ベッロ司教が帰天した1993年4月20日からちょうど25年目のこの日、教皇はプーリア州を訪問。最初に同司教の生誕の地、レッチェ県・アレッサーノに赴き、同司教の墓前で祈られた。

続いて、教皇は、ベッロ師の司教としての司牧の拠点となったバーリ県・モルフェッタへと向かわれた。

モルフェッタを中心とするこの地域では、「ドン・トニーノ(トニーノ神父)」として親しまれたベッロ司教の証しや思い出が、今も人々の間に息づいている。

市内の沿岸部で行われたベッロ司教帰天25年を記念する教皇ミサには、およそ4万人が参加した。

教皇はミサの中で「パン」と「みことば」をテーマに説教を行われた。

教皇は、パンは生きるために本質的な食べ物であるが、イエスはわたしたちのためにご自身を「いのちのパン」として与えられたと強調。

いのちのパンであるイエスなしでは、教会のすべての努力は虚しいと述べた教皇は、「慈善事業を行なうだけでは足りない。業には愛がなくてはならない。聖体という源泉、出発点を持たない司牧活動は気まぐれなものにすぎない」というベッロ司教の言葉を引用。

「聖体に養われた者はイエスと似た者となる」、「わたしたちのために『裂かれたパン』であるイエスを受けた者は、自分も『裂かれたパン』となり、イエスのように他の人々に自分を与える者となる」と話された。

皆の「司教=しもべ」「人民の司牧者」となり、聖櫃の前で、他の人々に自分を与え食べさせることを学んだトニーノ神父は、イエスに飢え、あらゆる世俗の虚栄を拒む教会、「貧しさ、苦しみ、孤独という、不都合な聖櫃の中に、イエスの体を見分けることができる」教会を夢見ていた、と教皇は語った。

そして、「聖体はずっと座っていることを赦さない」、食卓から立ち上がらないならば「その秘跡は未完成である」と言うトニーノ神父の言葉を紹介された。

「いのちのパン」は「平和のパン」でもあると教皇は述べ、この一致と平和のパンを分かち合いながら、わたしたちもトニーノ神父のように、いつでも、いかなる場所でも、平和の構築者となるように呼ばれていると話された。

次に、「パン」と同様に重要な「みことば」について教皇は、「福音でどうやってこの世の問題を解決できるのか」と考えがちな現代のわたしたちのように、当時イエスの言葉を聞いた人たちも、その言葉によって人生の変革を受け入れるより、座ったままでそれについてあれこれ議論しているだけだったと指摘。

トニーノ神父はこうした態度に対して、何度も「立ち上がりなさい」、「復活の主の前では、立ち上がらなくてならない」と言っていたと述べながら、復活の主と出会った者は、ぐずぐず留まっていないで、すべての問題や不確かさにも関わらず外に出て、復活の希望を伝える者、「希望のメッセンジャー」とならなくてはならないと話された。

ミサでいただく「パン」と「みことば」に常に養われながら、トニーノ神父のように、わたしたちもまた、喜びと平和の源泉となれるようにと、教皇は祈られた。

トニーノ・ベッロ司教の足跡をたどる訪問を終えられた教皇は、同日夕方、バチカンに戻られた。

 








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