2018-02-15 13:53:00

灰の水曜日:教皇「四旬節を『立ち止まり、見つめ、帰る』機会に」


教皇フランシスコは、ローマの聖サビーナ教会で、「灰の水曜日」の儀式をとり行われた。

カトリック教会の典礼暦は、2月14日、「灰の水曜日」を迎えると共に、復活祭前の祈りと償いの期間である「四旬節」に入った。

「四旬節」は、公生活に入る前のキリストが荒野で40日間の断食を行ったことを思い起こすもので、復活祭までの主日(日曜日)を除く40日間、悔悛し、祈り、断食・節制・愛徳の実践などを通して、キリストの復活の記念によりよい形で与る準備をする。またこの期間は、特に受洗を前にした洗礼志願者たちの精神的準備の時である。

四旬節の初日である「灰の水曜日」には「灰の式」が行なわれる。これは、死と悔いあらための象徴である灰を、各自の額や頭に受ける儀式。この灰には、前年の復活祭直前の日曜日、「受難の主日(枝の主日)」に祝福されたオリーブや棕櫚の枝を燃やしたものが使用される。

この日の夕方、教皇はローマ市内のアベンティーノの丘に赴かれた。

教皇はまず、聖アンセルモ教会から、聖サビーナ教会に向けて、司教・司祭・修道者・信者らと宗教行列を行われた。

毎年の伝統として教皇による「灰の式」がとり行われる聖サビーナ教会は、5世紀を起源とし、ローマにおいて初期キリスト教時代のバジリカ建築を今日に伝える貴重な例の一つとなっている。

聖サビーナ教会で捧げられたミサの中で、教皇は「灰の式」をとり行い、ご自身も頭に灰を受けられた。

教皇は説教で、四旬節はわたしたちのキリスト教生活の不協和音を正し、その生活を常に新しく、喜びにあふれ、キリストの復活の希望に満ちたものにする、またとない機会であると話された。

わたしたちは様々な誘惑に囲まれており、特に日常の浮き沈みの中の、苦しみや不安定な状態に付け込む、不信や、無気力、諦めは、信者たちの魂を腐食し、麻痺させてしまうと述べられた。

四旬節はこうした誘惑を取り除き、わたしたちの心が再びイエスの心と共に鼓動するよう戻してくれるものと教皇は語られた。

教皇は四旬節に信者たちの心を温める言葉として、「立ち止まる」「見つめる」「帰る」を挙げられた。

目まぐるしさから脱し、虚しく走り回ることをやめ、「立ち止まる」ように、と教皇は諭された。

目立ちたいという欲求、人を見下す視線、何もかも知り管理したいという態度、沈黙の豊かさを忘れた騒音の前で立ち止まり、見つめ、観想することの大切さを強調された。

家庭や、子どもたち、若者、お年寄り、病者、犯した過ちから立ち直ろうとする人たちの顔を「見つめ」、その苦しみや、希望、必要を知るように、また十字架上のキリストの御顔、その広げた両腕を見つめ、観想することで、誰をも除外しない愛、希望への招きに応えるようにと教皇は説かれた。

そして、教皇は、御父の家に「帰る」ように、いつくしみにあふれた御父の腕の中に恐れることなく帰り、その癒しと和解の力に満ちた優しさを実感するようにと、皆を招かれた。

 

 








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