降誕祭を迎えた12月25日、教皇フランシスコは、クリスマスメッセージと、ローマと全世界に向けた教皇祝福「ウルビ・エト・オルビ」をおくられた。
12月24日、教皇は、バチカンの聖ペトロ大聖堂で、主の降誕の深夜ミサを捧げられた。
そして、明けた25日、主の降誕の大祝日の正午に、教皇は聖ペトロ大聖堂の中央バルコニーからクリスマスのメッセージを読み上げられた。
穏やかな空模様となったこの日、バチカンを訪れた大勢の家族連れの市民や、世界各国の巡礼者らは、教皇のメッセージに耳を傾け、祝福を受けた。
2017年度の、教皇フランシスコのクリスマス・メッセージは以下のとおり。
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親愛なる兄弟姉妹の皆さん、クリスマスおめでとうございます!
ベツレヘムに、おとめマリアから、イエスがお生まれになりました。それは人間の意志によるものではなく、父なる神からの愛の贈り物でした。神は、「その独り子をお与えになったほどに、世を愛されました。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためです」(ヨハネ 3,16)。
時を旅する教会において、今日、この出来事が繰り返されます。キリスト者たちの信仰は、降誕祭の典礼の中で、わたしたちと同じ人となられ、わたしたちを救うために小さく、貧しくなられた神の、訪れの神秘を再び生き生きと体験します。御父のあまりにも大きい優しさゆえに、わたしたちは感動でいっぱいになるのです。
マリアとヨセフの後に、謙遜な救い主の栄光を最初に見たのは、ベツレヘムの羊飼いたちでした。彼らは天使が告げたしるしを認め、幼子イエスを礼拝しました。この謙遜でありながら、目覚めた羊飼いたちは、すべての時代の信者の模範です。彼らはイエスの神秘を前に、その貧しさにつまづくことなく、マリアのように神のみことばに信頼し、素直な目をもってその栄光を観想しました。
人となられたみことばの神秘を前に、あらゆる地のキリスト者たちは、福音書記者ヨハネの言葉をもって信仰を表します。「わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理に満ちていた」(ヨハネ1,14)。
今日、世界に戦争の風が吹き、行き過ぎた発展モデルが人間や、社会、環境の悪化を招き続けています。クリスマスはわたしたちに幼子イエスのしるしを思い出させ、多くの子どもたち、特にイエスのように「泊まる場所の無い」(ルカ2,7)子どもたちの顔の中にそれを認めさせるのです。
中東の子どもたちの中に、わたしたちはイエスを見ます。イスラエルとパレスチナ間の高まる緊張のために、彼らは苦しみ続けています。クリスマスを祝うこの日、主にエルサレムと中東全体に平和を願い求めましょう。当事者間に対話再開の意志が高まり、相互の合意と、国際承認を得た境界内で2つの国家が平和共存できる和平解決にようやく達することができますように。大きな障害にも関わらず、苦しむ中東の地に人々が長く熱望する調和・正義・安全をもたらすための努力を惜しまない、国際社会の善意の人々を神が支えてくださいますように。
シリアの子どもたちの顔の中に、わたしたちはイエスを見ます。その顔はここ数年の同国の流血の紛争の痕を未だ留めています。愛するシリアが、民族・宗教を超えた社会秩序を再構築するための共通の努力を通して、すべての人の尊厳の尊重を再び見出すことができますように。
イラクの子どもたちの中に、わたしたちはイエスを見ます。同国は15年間続く敵対によって未だ傷つき、分裂しています。
イエメンで続く紛争は多くの人々に忘れられていますが、この紛争に深く巻き込まれた市民たちは、飢えや疾病に苦しんでいます。
アフリカの子どもたち、特に南スーダン、ソマリア、ブルンジ、コンゴ民主共和国、中央アフリカ共和国、ナイジェリアの苦しむ子どもたちの中に、わたしたちはイエスを見ます。
平和と安全が、危険に満ちた緊張と新たな紛争によって脅かされている世界のすべての地域の子どもたちの中に、イエスを見ます。全世界のために、朝鮮半島における対立が克服され、相互の信頼を増すことができますように。
幼子イエスにベネズエラを託しましょう。愛するすべてのベネズエラ国民のために、社会の異なる立場間で、落ち着いた対話を取り戻すことができますように。
ウクライナ紛争の暴力とその重大な人道的影響に傷つく子どもたち、またその家族の中に、イエスを見ます。この愛する国に一刻も早く平和が訪れるよう主に祈りましょう。
失業中の両親を持つ子どもたちの中にイエスを見ます。彼らの両親は子どもたちに確かで安心な未来を与えるために苦労しています。子どもたちは、少年期を奪われ、小さいうちから働くことを義務づけられ、あるいは良心の無い傭兵隊から子ども兵士として徴兵されていきます。
自国を離れ、非人道的な状態で一人で旅をし、人身売買の危険にさらされている多くの子どもたちの中に、イエスを見ます。彼らの目を通して、わたしたちは多くの強制的移住者たちの悲劇を見ます。移住者たちは命の危険に遭いながら疲労の多い旅に臨み、時にその旅は悲劇に終わるのです。
わたしが最近訪問したミャンマーとバングラデシュの子どもたちの中に、わたしはイエスを再び見ます。この地域の少数派の人々の尊厳が守られるよう、国際社会の努力が欠けることのないように願います。イエスは、受け入れられないことの苦しみと、枕する場所も持たないことの辛さをよくご存知です。わたしたちの心が、聖家族に対するベツレヘムの家々のように、閉ざされることがありませんように。
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、わたしたちにも主の降誕のしるしが示されました。それは「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」(ルカ2,12)です。おとめマリアと聖ヨセフ、そしてベツレヘムの羊飼いたちのように、幼子イエスを迎えましょう。幼子イエスは、わたしたちのために人となられた神の愛です。その恵みと共に、わたしたちも世界をより人間的にするため、現代と未来の子どもたちによりふさわしいものとするために、努力してまいりましょう。
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