2017-11-03 11:36:00

教皇、ローマのフォッセ・アルデアティーネを訪問


教皇フランシスコは、11月2日、ローマ南部郊外のフォッセ・アルデアティーネを訪問された。

フォッセ・アルデアティーネは、1944年3月24日、ナチス・ドイツの占領下にあったローマで、前日3月23日にローマ市内で起きたドイツ軍部隊への爆弾攻撃に対する報復行為として、政治犯や抵抗運動家らを中心とする受刑者、ユダヤ系市民、その他の市民ら、335人がドイツ軍によって連行され、虐殺、遺棄された場所として知られる。

戦後すぐに、フォッセ・アルデアティーネは、虐殺された犠牲者の冥福を祈り、平和への思いを新たにする記憶の場として保存され、追悼施設となった。

典礼暦で「死者の日」を記念したこの日の午後、教皇はローマ南方、ネットゥーノの米軍戦没者墓地でミサを司式され、次いで、ローマのフォッセ・アルデアティーネを訪れた。

ローマ教皇のフォッセ・アルデアティーネ訪問は、1965年のパウロ6世、1982年の聖ヨハネ・パウロ2世、2011年のベネディクト16世に続いて、現教皇で4度目となる。

日没後のフォッセ・アルデアティーネで、教皇はローマの主席ラビ、リカルド・セーニ師をはじめとするユダヤ教共同体関係者や、73年前の虐殺の犠牲者の遺族たちに迎えられた。

教皇は沈黙と闇に覆われた霊廟の中を歩かれ、虐殺が行われた場所を示す門の前で長く祈られた。

続いて教皇は、犠牲者らの名が記された石棺が並ぶ霊廟内の中心部に入られ、いくつかの棺の上に、一本一本と、花を置かれた。

教皇は、セーニ師に続いて捧げられた祈りにおいて、すべての犠牲者を思い起こしながら、335人中、身元の不明な12人の存在にも触れ、神の前では誰一人無名ではないと述べられた。

人間との契約を結ばれる神の、苦しむすべての人と民と交わされた永遠に忠実な、いつくしみ、憐れみに溢れた愛の契約、死よりも強く、復活を保証するその契約に、教皇は祈りの中で信頼を寄せられた。

最後に、教皇は訪問の記帳に、「戦争のもたらすもの、それは憎しみ、死、復讐です」と言葉を残された。

ネットゥーノの米軍戦没者墓地、ローマのフォッセ・アルデアティーネを訪問後、バチカンに戻られた教皇は、聖ペトロ大聖堂地下の歴代教皇の墓前で祈りの時を持たれた。








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