2017-09-27 12:35:00

希望は心の原動力、教皇一般謁見、カリタスの難民救済キャンペーンに言及


教皇フランシスコは、バチカンで9月27日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中、教皇は「キリスト教的希望」をめぐるカテケーシス(教会の教えの解説)を続けつつ、この日は「希望を妨げるもの」とは何かを考えた。

教皇はこのテーマを取り上げるにあたり、「パンドラの甕」の話を思い出したと述べた。

ギリシャ神話の登場人物、パンドラが決して開けてはいけないという甕を開けると、ありとあらゆる災いが世界に飛び出していったが、すべての悪が出て行った後で、甕に残っていたもの、それは「希望」であった。

教皇は、この神話は、なぜ人類にとって希望がこれほどにも大切であるかを物語っていると話し、「命がある限り、希望がある」とよくいうが、むしろ反対で、希望が人生をつないでいると述べた。

教皇は、この日からスタートした国際カリタスの難民救済キャンペーンを紹介。希望は、より良い生活を求め、家や土地、時には家族をも後にして旅立つ人たちの心の原動力であると話した。

同時に、希望は、出会い、互いを知り、対話を願う、受け入れる人々の心の原動力でもあると指摘。難民たちの旅を分かち合うこと、希望を分かち合うことを恐れないで欲しいと呼びかけられた。

希望とは、満ち足りた人々のための力ではない、貧しい人たちこそが、一番希望を持つ人々であると教皇は話し、満たされた人たちが眠り込む中、主の降誕の夜に目覚めていた人々、ヨセフやマリア、羊飼いたちなど、謙遜な人たちの存在を思い起こされた。

しばしば、恵まれすぎた人生というものは一つの不幸である、と教皇は語り、期待も、忍耐も、努力も学ばなかった若者がいるとすれば、何も望むことのない、夢を閉ざされた、最悪の生き方をすることになると警告された。

空虚な魂は、希望にとって最悪の妨げであると教皇は強調。これは誰にでもある危険であり、キリスト者の歩みの中でも希望を失う誘惑となりうると話した。

無気力は生活を内面から侵食し、抜け殻のようにしてしまうと教皇は注意を促し、神がわたしたちを喜びと幸福のために創られたことを忘れず、こうした神から来たものではない不幸の誘惑から心を守らなければならないと説かれた。

自分を弱く感じ、苦しみとの戦いが辛い時、わたしたちはいつでもイエスの御名に助けを求めることができると述べた教皇は、「主イエス・キリスト、生ける神の御子よ、罪びとであるわたしを憐れんでください」と祈ることで、キリストは扉を開け放ち、わたしたちに希望の地平線を見せてくれるだろうと話された。








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