2017-05-28 14:29:00

教皇フランシスコ・ジェノバ公式訪問 : 「キリスト者は柔和でかつ創造的精神を持つ宣教者であれ」


5月27日土曜日、ジェノバ公式訪問中の教皇フランシスコはケネディー広場でジェノバ市民のためにミサを捧げた。ミサ会場になったケネディー広場は文字通りジェノバ市民全員が集まったかのように,立錐の余地もなく教皇ともに祈りをささげようといっぱいになった。参列者の数が膨大だっため、全員が会場に入りきれず、場外に28基の大型スピーカ、および大型スクリーンを設置し全員が教皇とともに祈れるように配慮された。

ミサ中教皇は真のキリスト者の特質について次のように話された。

「キリストはすべての人々のために天と地を結ばれました。キリストが天の御父のもとに上られたとき、私たちの肉体の人間性は天と地を隔てる壁を乗り越えました。神は人間から離れることはもう決してないでしょう。.今キリストは天の御父の傍らにあって毎日私たちのためにとりなしてくださいます。私たちのすべての祈りにおいて、ゆるしの懇願においてキリストはわたしたちのためにともに祈り願ってくれるのです。

ですから祈りとは大切な人や事柄を神に委託するためのすばらしい道、手段だと言えます。この世界も私たち個人個人もこの素晴らしい手段、祈りを必要としています。毎日の生活の苦労に追われ、人は往々にして自分を見失い他人のことを忘れ己れ自身の中に閉じこもりがちです。そして何でもないことのためにしばしば深い不安感に捕らわれがちです。このような状態の時、最も有効な脱出法は、神の中にすべてを託すことです。生活の錨を神の中に深く下すことです。すなわち神に全幅の信頼を寄せることです。

生活のすべての問題や重荷、周りの人々そして状況をもすべてを信頼を込めて神に託すことです。これこそ祈りの力そのものです。天と地とを結ぶことであり、こうして神はわたしたちの時間と空間に入ってこられます。

キリスト教の祈りとは単に心の平安をえるため、何らかの内面的な調和や平穏を取り戻すことではありません。祈りは主が御父のもとでされているように、とりなすことでもあります。ですから祈りには他者に向けられる愛に基づくダイナミックな動きがあります。祈りにはこの世の論理によらない静かな柔和な力があります。それは戦争をも停止させ平和を獲得する力さえあるのです。ですから天の御父の傍らで私たちのためにとりなしてくださるキリストご自身やその弟子たちのようにわたしたちも疲れることなく兄弟姉妹たちのため、この世を天にますます近づけるために祈り続けましょう

キリストの福音はしまい込まれ隠されていることはできません。神の愛、キリストの福音を人々に告げ知らせるためには閉じこもるのではなく自分自身から飛び出す勇気が必要です。主キリストとともにいる人はこの世に安穏と平穏の中にとどまることはできません。主キリストは常に挑戦し続けます。

ですからキリスト者はいつも外に出て行く勇気と覚悟が必要です。何の問題もなくすべてが順調という平穏さに閉じこもり立ち止まっていてはなりません。主とともに常に他者に向かって歩み続ける必要があります。なぜなるキリストは決してひとところに止まることがないからです。

キリスト者は巡礼者、宣教者、走りる続けるマラソン走者です。柔和でありながら、歩み続けることにおいては強い確信を持ち、創造的であるべきです。

神に対する信頼に満ち、同時に活動的であり、だれをも大切にし、開かれた存在です。苦労を惜しまず誰に対しても連帯を示します。余計な無駄話や噂にとらわれることなく真摯にキリストの福音を告げ知らせる必要があります。具体的な共通善と平和のために働きましょう。受けるより与えるほうに大きな喜びがあることを確信し、絶えず前進する勇気を持ちましょう」。








All the contents on this site are copyrighted ©.