2017-03-09 18:38:00

十字架上でのイエスの死を見つめる、教皇参加の黙想会で


ローマ郊外アリッチャで、教皇フランシスコをはじめ、バチカンの高位聖職者が参加する四旬節の黙想会が続いている。

黙想の家「カーサ・デル・ディヴィン・マエストロ」で3月5日から始まった黙想会も、この9日、終了まであと2日を残すところとなった。

指導を務めるジュリオ・ミケリーニ神父は、同日午前の黙想で、すべての人の罪の赦しのために十字架に架かられたキリストの姿、その深い愛の眼差しを観想するよう招いた。

同神父は、マタイ福音書に、イエスが十字架につけられてから、そこで死に至るまでの、受難の場面を凝視。

「神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い」と人々からののしられるイエス、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と大声で叫ぶイエス、「この人はエリヤを呼んでいる」「エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」という人々、そして再び大声を出して息を引き取られたイエスの、一連の克明な描写を振り返った。

わたしたちは、神の御子の生々しい受難と死の場面に強い驚きや戸惑いを隠せないが、これは同時にイエスの死が抽象的な死、作り事の死ではなく、現実の死であったことを理解させてくれるものと同神父は指摘。

弟子たちもまたイエスの死を前に、すべてを諦めていたのは、イエスの死が現実だったからであると話した。

イエスの十字架上での叫びの意味は人々に理解されず、死を前にイエスはもう何も説明されなかったが、イエスはご自身を聖霊に託され、聖霊が人々に理解できなかったことを理解させることになると語った。

教皇とバチカン関係者によるこの黙想会は、10日午前に終了する。

 

 








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