2017-02-15 18:10:00

神の愛が与える、欺くことのない希望、教皇一般謁見


教皇フランシスコは、バチカンで2月15日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

この謁見で、教皇は「キリスト教的希望」めぐるカテケーシス(教会の教えの解説)として、「欺くことのない希望」をテーマに講話された。

「自慢すること・誇ること」はうぬぼれにつながり、他人への配慮に欠けることと、わたしたちは教えられてきたが、その一方で、使徒聖パウロは「ローマの信徒への手紙」(5,1-5)で「誇る」という言葉をたびたび使っていると教皇は紹介。

パウロがここで誇るのは、何に対してなのかを考えるよう招かれた。

聖パウロはまず、「キリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています」(ローマ5,2)と述べている。

これについて教皇は、「一つひとつの物事を聖霊の光に照らして読み取るならば、すべては恵みであると気付くことを、パウロはわたしたちに教えている」と話された。

実際、注意して見れば、歴史や生活の中で動いているのは、わたしたち自身だけなく、何よりも神であることがわかると教皇は指摘。

神こそが絶対的主役であり、神はすべてを愛の贈り物として創造し、その救いのご計画を、御子イエスを通してわたしたちのために完成されると話された。

わたしたちがこのことを認め、感謝をもって受け入れるならば、神と共に平和にいて、自由を得ることができ、そしてこの平和は、自分自身との平和はもとより、家庭、共同体、職場、日常で出会う人々との平和へと広がっていくとも説かれた。

次にパウロは「苦難をも誇りとします」(ローマ5,3)とも記している。

これについて教皇は、信仰から沸き出る平和は一つの賜物、わたしたちを愛し、常にそばにいてくださる神を体験する恵みであると指摘。

どんなに辛い時でも、神のいつくしみと優しさはすべてに勝り、何者もわたしたちを神の手から引き離すことはできないと知るがゆえに、聖パウロが言うように、この恵みはわたしたちに忍耐を生み出すのであると説かれた。

キリスト教的希望の基礎は、わたしたちの存在や能力にあるのではなく、最も忠実で確実な神の愛に置かれているために、その希望は堅固で、決して欺くことがないと、教皇は強調。

聖パウロが誇るのは、わたしたちを愛してくださる神の愛、誰をも除外しない愛であり、わたしたちはその愛によって与えられた希望を、自分だけのものとせず、他の人々にも伝えていくよう召されていると話された。








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