2016-07-29 12:26:00

教皇、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を訪問


教皇フランシスコは、7月29日、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を訪問された。

ポーランド訪問3日目の朝、教皇は同国南部、オフィシエンチムに向かわれた。

オフィシエンチム郊外には、ドイツ占領下の1940年に建設されたアウシュヴィッツ第一強制収容所がある。

現地に到着された教皇は、「働けば自由になる」という言葉が掲げられたアウシュヴィッツ収容所の正門を歩いてくぐられた。

被収容者たちの点呼が行なわれ、集団絞首刑が執行されていた「点呼広場」で、教皇は長い沈黙の祈りを捧げられた。

次いで、第11ブロックを訪れた教皇は、ここで10人の生還者とお会いになった。教皇は一人ひとりの手を固く握り、生存者たちの言葉にじっと耳を傾けられた。

多くの無実の人々が銃殺された「死の壁」の前にランプの火を捧げられた教皇は、壁を見つめ、それに手を触れ、祈られた。

続いて、教皇は聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父(1894-1941)が他の被収容者と共に餓死刑のために入れられ、亡くなった地下牢を訪れた。

収容所で脱走者が出たことへ見せしめとして、10人が餓死刑に定められた時、コルベ神父は、一人の家庭を持つ男性の身代わりとなることを自ら申し出て、他の9人と一緒に地下の餓死室におくられた。地下牢でコルベ神父は仲間を励まし続け、2週間後、まだ生存していた他の3人と共に注射を打たれ、殺害された。

暗く狭い地下房に入られた教皇は、その中に一人で長い間留まり、頭を下げ祈り続けられた。

教皇は、アウシュヴィッツ収容所の訪問帳に、「主よ、あなたの民を憐れんでください。主よ、多くの残忍さをお赦しください。フランシスコ 2016年7月29日」とスペイン語で記された。

この後、教皇は、アウシュヴィッツ収容所から3km先に第2収容所として建てられたビルケナウ収容所へ、かつて何万という人々を輸送するために使われた線路に沿って、カートで向かわれた。

ビルケナウの犠牲者国際慰霊碑では、「暗い淵から、主よ、あなたを呼びます」という言葉でで始まる詩編130が、ユダヤ教のラビと、ポーランドの司祭によって、唱えられた。

碑文を見つめながら歩まれた教皇は、慰霊碑の前にランプの火を灯し、沈黙の祈りを捧げられた。

教皇はここで、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害の中、自らの命をかけてユダヤ人を守った人々、「諸国民の中の正義の人」たち、25人とお会いになった。

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を後にされた教皇は、「世界青年の日(ワールドユースデー)」の大会が開催されているクラクフへと戻られた。

 








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