2016-02-15 16:02:00

メキシコ:教皇、エカテペックでミサ、一部だけを優遇する社会に警告


メキシコを訪れている教皇フランシスコは、2月14日、エカテペックでミサをとり行われた。

エカテペックは、メキシコシティの北東約30kmに位置し、都心へのベッドタウンとなっている。

同市の教育センターの敷地で行われたミサには、およそ30万人が参加、会場は教皇を歓迎する熱気に満ちたものとなった。

復活祭を準備する「四旬節」に入ってから最初の日曜日、教皇はミサの中で回心の必要を説くと共に、一部の人々だけが優遇される社会に警告を発せられた。

限られた人々による、限られた人々のための社会が、人々の夢を脅かし、社会に分裂と闘争を生んでいると述べた教皇は、どれだけの人が各自の中にある尊厳を認められずに苦しみ、わたしたちもまた他人の尊厳に対しどれだけ無関心であることかと、人々に良心の糾明を求められた。

教皇はキリストが砂漠で受けた誘惑は、現代のキリスト者が日常的に経験する誘惑でもあるとし、わたしたちが打ち勝つべき誘惑として、「豊かさ」「虚栄」「うぬぼれ」の3つを挙げられた。

「豊かさ」の誘惑とは、皆に与えられたはずの富を独り占めし、自分のため、あるいは自分の「身内」のためだけに用い、他人の汗でパンを得ることであり、その豊かさとは、苦しみや失望、悲しみの味のするパンであると話された。

また「虚栄」とは、自分以外を「ただの人」として見下し続けることの上に、自分の優位を求めること。「うぬぼれ」とは、あらゆることに優越を感じ、自分も皆と同じ「死すべき命」であると思うことなく、「わたしが彼らのようでないことを感謝します」と神に祈ることと教皇は説明された。

自分の心を荒廃させるだけでなく、他人をも傷つけるあらゆる堕落から、わたしたちが抜け出すのを神は待っていてくださると教皇は説き、「神の名はいつくしみです。その名こそを、わたしたちの豊かさ、名声、力とするべきです」と話された。

 








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