2015-11-09 19:01:00

「神に半分ではなく、すべてを渡すこと」教皇、日曜正午の祈りで


教皇フランシスコは、11月8日、バチカンで日曜正午の祈りを巡礼者と共に唱えられた。

集いの説教で教皇は、この日の福音朗読箇所(マルコ12,38-44)を取り上げながら、キリストの弟子がするべきでないこと、またキリスト者の理想的模範とは何かを考えられた。

この箇所の前半部分で、イエスは、律法学者たちの「広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ること」を望み、裏では「やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする」、その高慢、貪欲、偽善的な態度を厳しく批判されている。

教皇は、祈りが正義から離れているために、神に栄光を帰すことなく、貧しい人々に被害を与える態度、あるいは神を愛すると言いながら、自らの虚栄心や利益を神に優先させる態度を、キリスト者にふさわしくないものとして示された。

一方、エピソードの後半で、イエスは、エルサレムの神殿で金持ちたちが賽銭箱にたくさんお金を入れるのに対し、一人の貧しいやもめが持っているだけのすべて、生活費の全部を入れた様子をご覧になり、弟子たちの前でこのやもめの態度を称えられた。

神に半分ではなくすべてを渡したこの老婦人は、貧しさの中で、神を得ることはすべてを得ることだと理解すると共に、神から完全に愛されていることを感じながら、自分もまた神をすべてをもって愛することを知る人であると教皇は述べ、この態度をキリスト者の模範として示された。

そして、神の裁きの基準は量でなく、その質、満たされ方にあると強調された教皇は、心の込めて神を愛するとは、神とその摂理に信頼し、最も貧しい兄弟たちに何も求めずに奉仕することであると説かれた。

 








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