2015-05-20 14:15:00

「すべての基本は愛」親たちの教育の使命に励まし、教皇一般謁見


教皇フランシスコは、20日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、家庭をめぐる考察を続けている教皇は、この日は「教育」をテーマに取り上げられた。

「子どもたちが自分と他の人々に対する責任の中に成長するように教育すること」は、家庭の本質的な特徴であり、召命であると教皇は強調。

「子どもたちは、何事につけ、両親の言いつけに従いなさい。それは主に喜んでいただけることだからです。父親は、子どもたちにうるさく言ってはなりません。子どもたちがやる気をなくさないためです。」(コロサイ 3, 20-21)という聖パウロの勧めを、叡智ある言葉として示された。

「実際、子どもたちはやる気を失わずに一歩一歩成長すべきであり、それは親が子どもの手を取り、見守りながら、階段を少しずつ上らせていくのに似ている」「親子の関係には賢明さと大きなバランスが必要とされる」と教皇は話された。

今日の教育が抱える様々な困難として、教皇は、親が仕事で夜遅く家に帰らざるを得ない場合、両親が離別している場合などを例に挙げられた。

特に、両親が別れた状態にある時、父親あるいは母親が子どもを「人質」のようにとって、相手の悪口を聞かせることは非常によくないと警告。たとえ一緒に暮らしていなくても、父親が母親のことをよく言い、母親が父親のことをよく言うのを聞きながら、子どもたちが成長することが大切と説かれた。

現代社会の中で、両親や家族の教育に対する役割は貶められてしまったと述べた教皇は、それが家庭と社会、親と学校との間の亀裂を生む原因にもなっていると指摘。家庭と社会の教育における連携は、相互の信頼関係の喪失により危機に陥り、学校では教師と保護者の関係にしばしば対立と不信が生じるようになったことを懸念された。

また、教皇は、親たちが自分の子どもたちの教育を「専門家」に依存しすぎる場合の問題をも指摘。自分たちの家庭の非常にデリケートな問題まですべて専門家に託すことは、子どもたちの生活における親の存在を自ら除外するようなもの、と話された。

慌しい今日の生活リズムの中で、親子が向き合う時間が減ると共に、親たちは現代の複雑な社会が生む子どもたちの新しい要求に戸惑い、間違うことを恐れ、身動きが取れなくなっている状況を教皇は見つめられた。

しかし、問題は、親子が話し合わないことだけでなく、真に心に触れない「表面的な会話主義」そのものにあることに、教皇は注意を促し、「『子どもは行くべき道を歩んでいるのか』『子どもたちの心は本当はどこにあるのか』を知っていますか?知ろうとしていますか?」と親たちに問いかけられた。

「すべての基本は愛にある」と話された教皇は、主がキリスト者の家庭にその使命に必要な信仰と自由と勇気を与えてくださいますようにと祈ると共に、親たちはその「亡命」から戻り、再び教育におけるその役割を完全に担うようにと願われた。

 








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