スリランカを訪問中の教皇フランシスコは、14日、同国北部マドゥの聖母巡礼聖堂で祈りの集いを持たれた。
マドゥの聖母巡礼聖堂の歴史は、16世紀に遡る。1544年、ポルトガルの影響を怖れたジャフナの王は、多くのキリスト教徒を殺害。迫害を逃れたマンナールのキリスト教徒たちはジャングルの中に小さな祈りの場を設け、そこに聖母像を置いた。1583年には、近くに聖堂が建てられた。
しかし、17世紀半ば、セイロンはオランダの支配に入り、オランダ人たちによるカトリック信徒への激しい迫害が始まると、信者たちはこの聖母像を抱いて逃げ、現在の場所に聖堂が建つことになった。
1687年、セイロンに上陸した宣教師・聖ヨセフ・ヴァズ神父の懸命の努力により、セイロン島におけるカトリック共同体は次第に息を吹き返し、やがてこの聖母巡礼聖堂は宣教の中心地となっていった。今日見る聖堂は、1872年に礎石が据えられたものである。
マドゥの聖母巡礼聖堂は常に祈りの場として、カトリック信者はもとより、他の宗教の信者たちからも尊重を受けてきた。しかしながら、1983年以降、スリランカ内戦が始まると、マドゥも激しい戦闘に巻き込まれた。
こうした中も、スリランカの司教たちは、マドゥの巡礼聖堂周辺を非戦闘地域とすることに成功し、聖堂の広大な隣接地に戦争の避難民たちを受け入れた。内戦終結の翌年2010年、聖堂は巡礼者らに再び開放された。
この日、コロンボでのヨセフ・ヴァズ神父の列聖式を経て、マドゥへと移動された教皇フランシスコは、巡礼聖堂に詰め掛けたおよそ50万人の信者たちの温かい歓迎を受けられた。
集いの説教で教皇は、マドゥの聖母巡礼聖堂では、タミル人も、シンハラ人も、すべての巡礼者が一つの家・家族として集い、皆が聖母に彼らの喜びや悲しみ、希望を託して祈り、神の愛と憐れみを間近に感じることができると話された。
長い内戦で、スリランカは北から南まで深く苦しみ、多くの人々が恐ろしい流血の暴力の犠牲となったと、スリランカ内戦の犠牲者たちを教皇は心に留められた。
あの悲劇の日々、ここマドゥの巡礼聖堂からもスリランカの初期キリスト教徒たちに遡る聖母像が取り去られたことは、誰もが忘れることはできないだろうと教皇は述べつつ、しかし、聖母は常に皆と共に残り、平和への回帰を求めるすべての人々の家の母であり続けたと話された。
イエスだけが開いた傷口を癒し、砕かれた心に平和を取り戻すことができると教皇は強調。神の憐れみを祈ると共に、わたしたちの罪やこの地が体験した悪を償う恵みを神に願い求めるよう招かれた。
内戦後、マドゥの聖母像が再び巡礼聖堂に戻ってきたように、タミル人とシンハラ人の両共同体が失われた一致を取り戻し、スリランカのすべての人々が和解と兄弟愛の精神のもと神の家に帰ることができるようにと教皇は祈られた。
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