2014-10-30 18:27:46

「目に見える教会と霊的な教会」を考える、教皇一般謁見


教皇フランシスコは、バチカンで29日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシスで教皇は、教会をめぐる考察として、「教会:目に見える現実と霊的な現実」をテーマに話された。

前回のカテケーシスで「キリストの体としての教会」をテーマに取り上げたことを思い出しつつ、教皇は、聖霊によって築かれたキリストの神秘体としての教会と、小教区や教区に見る現実の組織としての教会は、どちらも一つのものなのか、それは互いにどのような関係にあるのかを考えたいと話された。

目に見える教会について話す時、わたしたちはすぐに教皇や、司教や司祭、修道者らのことを考えがちだが、教会とは洗礼を受けた世界中の兄弟姉妹たち皆によって成り立っていることを忘れてはならないと教皇は指摘。「教会とはわたしたち皆のことです。洗礼を受けたすべての人こそがイエスの教会なのです」と強調された。

このように目に見える教会も実は測りがたい存在であると述べた教皇は、「キリストがわたしたちの人生や心を通してなさるすべての素晴らしいことを完全に知ることは難しい、それはわたしたちの力を超えた、神から来る神秘的な現実だからです」と話された。

「目に見える教会と、霊的な存在としての教会の関係を理解するには、イエスを見つめる他に道はありません。教会はイエスによって形作られ、イエスの無限の愛によって生まれたからです」「教会という神秘においては、目に見えることよりも、見えないことの方が重要で、それはただ信仰の目によってのみ見えるのです」と教皇は説明。

「目に見える教会が、霊的な教会に奉仕するにはどうしたらよいかを知るには、再びイエスを見つめなくてはなりません。キリストこそが教会の模範であり、教会はその体だからです。キリストはわたしたち信者すべての模範であり、キリストを見つめるならば、決して間違うことはありません」と話された。

「わたしたちすべては罪びとです。自分は罪びとではないと言える人がいるでしょうか」「わたしたちの弱さや限界にも関わらず、主が人類のために、わたしたちを恵みの道具、神の愛の目に見えるしるしとしてくださいますように」と教皇は祈られた。

また、「わたしたちキリスト者がつまづきのもとになることがありませんように」と願われた教皇は、「確かに、わたしたちはつまづきのもとになってしまうことがあるかもしれませんが、イエスがわたしたちに望まれることを人生を通して表すことで、証しのもとにもなれるのです」と信者らを励まされた。








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