2014-06-13 18:51:52

教皇一般謁見・カテケーシス・聖霊の賜物⑦主への畏敬(2014.6.11)


親愛なる兄弟姉妹の皆さん

今日お話しする「主への畏敬」をもって、聖霊の7つの賜物の考察を締めくくりましょう。「主への畏敬」は神を怖がることを意味するのではありません。わたしたちは神は父であり、わたしたちを愛し、救いを望み、いつも赦してくださることを知っています。それゆえ、神を怖がる理由はどこにもないのです。これに対し「主への畏敬」は、わたしたちが神とその愛を前にいかに小さい者であるか、そして謙遜と尊敬、信頼をもって神の御手に自らを委ねることが大切であるということを思い出させてくれる、聖霊の贈り物なのです。

1.聖霊がわたしたちの心に住まわれる時、慰めと平和を呼び起こします。そして自分を小さな者と感じることで、わたしたちはイエスが福音の中で勧めるあの態度、お父さんと共にいる子供のような気持ちで、すべての心配や望みを神に託し、その温かさと保護に包まれ、支えられるのです。これが聖霊がわたしたちの心の中ですることです。わたしたちを父の腕の中の子どもの様に感じさせるのです。この意味で、神への畏敬がどのようにわたしたちを従順にし、感謝と賛美の気持ちを引き起こし、心を希望で満たすかがわかるでしょう。実際、神のご計画を捉えることができずに、幸福や永遠の命を自分の力だけでは保証できないと気づくことは多いものです。しかし、まさにわたしたちの限界や貧しさゆえに、聖霊はわたしたちを慰め、一番大切なのはイエスに導かれて御父の腕の中に自分を委ねることだと感じさせてくれるのです。

2.これがわたしたちがこの聖霊の賜物を大いに必要とする理由です。主への畏敬は、すべては神の恵みによるものであり、わたしたちの真の力は、主キリストに従い、御父からその優しさと憐れみを注がれることにあると悟らせます。神の優しさと憐れみがわたしたちに注がれるように心を開くこと。これが聖霊が「主への畏敬」の賜物においてしてくださることです。わたしたちが無限に愛される子となるために、神の赦し、憐れみ、優しさ、いたわりがわたしたちにあるように、心を開くことです。

3.わたしたちが神への畏敬にあふれる時、わたしたちは謙遜、素直さ、従順をもって主に従うことになります。しかし、これは諦めや受身、悲嘆的な態度ではなく、父から必要とされ、愛された子としての驚きと喜びをもって従うのです。ですから、神への畏敬はわたしたちを臆病でおとなしいキリスト者にするのではなく、むしろわたしたちに勇気と力を与えるのです。この賜物は、わたしたちを確信と熱意に満ちた信者とします。それは怖れによって主に服従するからではなく、神の愛に心動かされ、引き寄せられたからなのです。神の愛に引き寄せられること、これは素晴らしいことです。わたしたちを心の底から愛してくださるこの父の愛に捉えられるままでいましょう。

しかし、気をつけたいことは、この神への畏敬の賜物は、罪の根深さに対する「警報」の役割をもするということです。人が悪の中にある時、神を冒涜する時、他人を搾取したり、抑圧する時、お金や虚栄、権力やプライドのためだけに生きる時、神への聖なる畏敬は「気をつけなさい」と注意を促します。そのすべてのお金やプライド、虚栄をもっても、あなたは幸福にはなれないと警告するのです。

誰一人、あの世にお金や権力、虚栄やプライドを持っていくことはできません。何一つもです。わたしたちが持っていけるのは父なる神がくださった愛、愛と共に受け取った神の優しさだけです。そして、わたしたちが隣人のためにしたことだけです。お金やプライド、権力、虚栄に希望をかけないように注意してください。何もいいことはないからです。

たとえば、人々に対して責任ある立場の人が汚職したとします。この腐敗した人があの世で幸せになるでしょうか。彼が汚職で得たすべてのものは彼の心を腐敗させ、彼が主のもとに行くことは難しいでしょう。人身売買や労働者の搾取で生活している人たちのことを考えます。人身売買したり、人を奴隷のように働かせる人たちが、心の中に神の愛を持っていると思いますか。いいえ、彼らは神を畏れず、幸福でもありません。彼らは幸せではないのです。戦争を助長するために武器を作る人たちのことを考えます。何という職業でしょう。皆さんの中に武器商人はいますか?誰もいないでしょう。武器商人は神の御言葉を聴きに来ないからです。死を生み出すこの人たちは、死の商人、死の商売をするのです。神への畏敬が彼らに、いつかはすべてが終わり、神の御前に出なくてはならないということを理解させますように。

親愛なる友人の皆さん、詩編34はこう祈ります。「この貧しい人の叫びを主はお聞きになり、彼をすべての苦しみから救ってくださる。主の使いは主を畏れる人たちの周りに陣を敷き、彼らを解放してくださる」(7-8)。わたしたちの声を貧しい人たちの声と一つにする恵みを主に願いましょう。主への畏敬の賜物を受け入れ、認め、彼らと共にわたしたちの父である神の憐れみと愛を身につけることができますように。








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