2014-05-14 18:28:14

教皇一般謁見・カテケーシス・聖霊の賜物③「賢慮」(2014.5.7)


教皇フランシスコは、バチカンで7日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇は「聖霊の7つの賜物」をテーマに、この日は「賢慮」の賜物について考察された。

教皇のカテケーシスは以下のとおり。

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親愛なる兄弟姉妹の皆さん

わたしたちは先ほど詩編の言葉を聞きました。「主はわたしに勧めを与える。主はわたしに内的に語られる」。これはもう一つの聖霊の賜物、「賢慮」の賜物です。特に難しい状態にある時、賢明でわたしたちのことを大切にしてくれる人の助言を頼りにすることがいかに大切かを知っています。

賢慮の賜物によって、その霊をもってわたしたちの心を照らすのは神ご自身です。こうして、聖霊は正しい話し方、取るべき態度、進むべき道を理解させてくれます。この賜物はわたしたちの中でどのように働くのでしょうか。

1.わたしたちが心の中に聖霊を迎え入れたとたん、聖霊はすぐにわたしたちの考えや感情、意向を神のみ心に沿って方向づけ始めます。そして同時に、心の目をわたしたちの行動、そして父なる神や兄弟たちと関わりの模範としての、イエスの方に常に向けさせます。

賢慮は、神との交わりのうちにイエスやその福音の論理に従ってどのように行動すべきかという具体的な選択を可能にする賜物なのです。こうして聖霊は内的にわたしたちを成長させ、利己主義に陥ったり、自分だけの見方にこだわることのないようにわたしたちを助けてくれるのです。さらに聖霊は共同体の中でも生きて行く術をわたしたちに教えてくれるのです。

2.この賜物を守り抜くための本質的な条件は祈りです。いつも戻るところは同じ、すなわち祈りです。祈ること、祈りは大変重要です。わたしたちが子どもの頃から知っている祈りも大事ですが、わたしたち自身の言葉で主に祈ることも大切です。主よ、主よ、わたしを助けてください。わたしに勧めを与えてください。わたしは今、何をしたらよいでしょうか。

祈りによって、その時ごとに聖霊がわたしたちを助けに来てくれるように場を作るのです。決して祈りを忘れてはなりません。わたしたちがバスの中や道すがら祈っていても、誰も気づきません。沈黙のうちに心を込めて祈りましょう。祈るためにこのような時を利用しましょう。聖霊がこの賢慮の賜物を下さるよう祈りましょう。神との親しさの中に、神のみ言葉に耳を傾けながら、少しずつ偏見や野心によって影響された自分の思いを捨て、あなたの望みは何なのですかと主に尋ね、主に勧めを願うことを学びます。

わたしたちはこのことを祈りによって実現するのです。このようにしてマタイ福音書に伝えられるイエスの言葉がどれほど真実であるかを体験し、聖霊のうちにまったく一つとなり、わたしたちの中に完全な調和が生じるようになるのです。
「どのように、何を言おうかと、心配することはありません。その時に、何を言うべきか教えられるでしょう。事実、その時にはあなたたちではなく、あなたたちの父の霊があなたたちの中で話されるのです」(マタイ10,19-20)。

わたしたちに勧めを与えるのは聖霊です。しかし、わたしたちは聖霊がわたしたちに勧めを与えることができるよう、その場を作らなくてはなりません。そして聖霊が来ていつも助けてくださるよう祈らなければなりません。

3.聖霊の他のすべての賜物と同様、賢慮の賜物もキリスト教共同体全体の宝物です。主はただ心の奥底で話されるだけではありあせん。主は兄弟たちの声やその証しを通してもわたしたちに語られます。深い信仰を持つ人々に出会うことは、実に大きな恵みです。彼らは特にわたしたちの生活の重要でより複雑な時に、心に光をもたらし、主のみ旨を理解するよう助けてくれるのです。

わたしは今でもよく覚えていることがあります。それはルーハンの聖母巡礼聖堂の告解所でのことです。そこでは信者たちが長い列を作っていました。その列の中に、いわゆる現代風の少年、刺青やその他もろもろのアクセサリーをつけた少年がいました。彼は自分に何が起こったのかをわたしに語りました。それは非常に困難な問題でした。少年は言いました。「あなたならどうしますか。僕はこの問題をすべてお母さんに話しました。お母さんはこう言いました。『聖母のところに行きなさい、聖母は何をすべきかを言ってくれるでしょう』と」。実にこのお母さんは賢慮の賜物を持った女性でした。どのように息子がこの問題から抜け出せるかは知りませんでしたが、正しい道を示したのです。彼女は言うのです。「聖母のところに行きなさい。聖母があなたの道を示してくれるでしょう」。これはまさしく賢慮の賜物です。聖霊に話してもらいなさい。謙遜で素朴なこの女性は最も真実な美しい勧めを与えました。なぜなら、この少年はわたしに言いました。「僕は聖母を見つめました。そうしたら、これも、あれもするべきだと感じたのです」。わたしには何も言うべきことはありませんでした。すべては母親と聖母マリアと少年との間のことでした。これこそ賢慮の賜物です。

お母さん方、皆さんはこの賢慮の賜物を持っています。この賜物を皆さんのお子さんたちのために願ってください。これは神様の大きな贈り物です。

親愛なる友人の皆さん、詩編16番は、次の言葉をもって祈るよう勧めています。「わたしに賢慮をくださった主を祝そう。夜になるとわたしの魂がいましめる。いつもわたしは主のそばにいる。主はわたしの右に立たれ、わたしは揺らぐことがない」(7-8)。

聖霊がいつもわたしたちの心にこの確信を注ぎ込み、その慰めと平和でわたしたちを満たしてくださいますように。

いつも賢慮の賜物を願ってください。









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