2014-04-01 18:01:44

「神の光に目を開こう」教皇、日曜正午の集いで


教皇フランシスコは、30日、日曜正午の祈りを信者と共に唱えられた。

集いの説教で教皇は、この日の福音朗読箇所、イエスが生まれつき目の見えない人をいやすエピソード(ヨハネ9, 1-41)を取り上げられた。

教皇は、目の見えない人がイエスによっていやされて目が見えるようになることで始まり、目の見える人たちが心の目を閉じたままで終わる、このエピソードを解説。

目が見えるようになったこの人は、どうして見えるようになったのかを群集や律法学者たちから問いただされ、彼の両親までもが呼び出される。最後に、彼は信仰に達し、これがイエスから受けた最も大きな恵みとなる。彼は見えるようになっただけでなく、イエスを知り、イエスを「世の光」として認めたのである。

これに対して、律法学者たちは目をいやされた人の素性を疑い、さらにはいやしにおける神の働きをも否定し、イエスの真理に目を開くことなく、彼らの内的な盲目の深みにはまっていく。律法学者らは、とうとう目をいやされた人を会堂から追い出すことになる。

わたしたちの人生は、時には神の光に目を開いたこの人のようでもあれば、時には自尊心の高さから他人や主まで裁く律法学者たちのようでもあると述べた教皇は、聖性の道を歩み、人生に実りをもたらすためにキリストの光に目を開くようにと呼びかけられた。

そして、このヨハネ福音書9章を読み返し、自分の目は光に向かって開こうとしているか、それとも深い内的な盲目に陥っているのか、自分の心は神や隣人に対して開いているかを問い直すようにと勧められた。

「いつもわたしたちの中には罪や誤りから生まれた頑なさがありますが、怖れることはありません。主の光に自分を開きましょう。主はいつもわたしたちを待っておられます」と、教皇は信者たちを勇気付けられた。









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