2014-02-18 16:53:00

自分に従う者に愛の完徳を求めるイエス、教皇の日曜正午の集い


教皇フランシスコは、16日、日曜正午の祈りを信者と共に唱えられた。

さわやかに晴れ渡ったこの日、バチカンの聖ペトロ広場には、教皇の言葉に耳を傾け、その祝福を受けようと、およそ5万人の巡礼者が訪れた。

集いの講話で教皇は、イエスの山上の説教の中で、特に「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだと思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」(マタイ5,17)という言葉を取り上げられた。

イエスはこの言葉に加えて、「あなたがたの義が、律法学者やファリサイ派の人たちの義にまさっていなければ、あなたがたは天の国に入ることはできない」(マタイ5,20)とも説いている。

「律法の完成とは何か」「よりまさる義とは何か」を考えるよう招きながら、教皇は、「昔の人は『殺すな。人を殺した者は、裁きを受ける』と命じられている。しかし、言っておく。兄弟に腹を立てる者は、誰でも裁きを受ける」(マタイ21-22)というイエスの言葉を引用。

ここでイエスは、言葉でさえも人を殺すことができることをわたしたちに思い出させると共に、自分に従う者に、愛の完徳を求めていると話された。

キリスト者にとって、隣人への愛はこれほどにも基本をなすものであり、イエスは、隣人と仲直りできないならば、わたしたちの神との関係も誠実ではなくなると言っているほどである、と教皇は指摘された。

イエスは律法の遵守や外面的な態度だけに重きをおかず、律法の根底にあるもの、特に行いの善悪の源である人の心の思いに注目していると述べた教皇は、良い正直な行いのためには、掟だけでは十分でなく、キリストにおける信仰によって神の愛を生きられるよう、聖霊の働きに自分を開くことが大切と説かれた。








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