2013-10-16 18:22:18

「使徒的教会の素晴らしさを再発見しよう」、教皇一般謁見


教皇フランシスコは、バチカンで16日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、信仰宣言(クレド)中の「聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会を信じます」という箇所の「使徒的」という表現に目を向けられた教皇は、なぜ教会は使徒的であるのかを、参加者らと共に考えられた。

教会が使徒的であるということは、イエスがご自分のそばに置くため、また派遣して宣教させるために召し出した使徒たち(マルコ3,13-19)と彼らと共に成長していった教会との緊密な関係を明示するものと教皇は説明。

実際、使徒という言葉はギリシャ語で「派遣された者」を意味するように、使徒とはイエスの業を引き継ぐようイエス自身によって選ばれ、召され、遣わされた人々であり、使徒たちが継続するその業は、第一に祈ること、第二に福音を告げることであると話された。

「教会が使徒的であるのは、それがキリストご自身がその権限を委ねた、使徒たちの宣教と祈りの上に築かれているからである」と話された教皇は、わたしたちの信仰、キリストが望まれた教会は、思想や哲学の上ではなく、キリストそのものに根差していることを忘れないよう招かれた。

教皇は、教会を何世紀にもわたり育ち、枝を広げ、実をもたらす木にたとえられ、その根はキリストと、キリストが選び派遣した使徒たちのキリスト体験にしっかりと根を下ろしていると説かれた。

使徒たちがイエスと共に体験し、イエスから聞いたことを、どのように今日のわたしたちまで伝えることが可能なのかと問いながら、教皇は「教会の中に住まわれる聖霊の助けによって、守り、伝える」教会の役割と、教会がそのために長きに渡り大切に守ってきた聖書、教理、秘跡、司牧者の聖務の存在を示された。

教皇はここで、教会を一つの川にたとえられ、歴史を通して流れるその川は水流を広げ、地を潤すが、その水源は常にキリストご自身であると話された。

また教皇は、「教会が使徒的なのは、世界中に福音をもたらすよう招かれているからである」と、教会の宣教性を強調。

キリストは使徒たちに宣教を託され、わたしたちにも人々に出会い、福音の喜びを伝えるよう招いていると述べた教皇は、「自分自身の中に閉じこもった教会は、教会のその本質を裏切るものです。さあ、使徒的教会の素晴らしさと責任を再発見していきましょう」と、信者たちに呼びかけられた。








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