2013-09-17 18:11:09

教皇とローマ教区司祭らとの出会い「司牧上の創造性と回心のすすめ」


教皇フランシスコは、17日、ローマ教区司祭との出会いを持たれた。

ローマの司教座聖堂、ラテランの聖ヨハネ大聖堂(サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ)で行われたこの集いで、教皇は司祭たちとおよそ2時間にわたり対話された。

ローマ教区司教である教皇はこの席で、同教区の司教代理アゴスティーノ・ヴァッリーニ枢機卿はじめ、補佐司教、主任司祭や副主任司祭、助祭らの声に耳を傾けられた。

司祭叙階以来、ブエノスアイレス大司教時代に至るまで、司牧現場に深く関わってこられ、「教皇になった今も、自分を一人の司祭と感じる」と話される教皇は、「司祭にとっての苦労とは何か」を皆と共に考えられた。

「司祭が自分の民と接することは大変苦労を要します。人々は実に多くの要求を持っているからです。でもその要求は神の要求ではないでしょうか」と教皇は述べ、「夜、仕事に疲れ、聖体の前で過ごし、主に挨拶する」、この「聖体の前で過ごすこと」が常に大切であると強調。

特に、司祭としての自分の人生にこれで良かったのかと疑問を持つ時の「魂の疲れ、心の闇」に対しては、「祈ること」「聖体の前で眠り込んでしまっても、そこに留まること」が重要であり、同時に「司教をはじめ他の司祭に近づくこと」が必要と助言された。

司祭らとの質疑応答では、「司牧の『創造性』を『何か目新しいことを行なう』ことと混同してはいけない。『創造性』とは福音が伝えられるための道を追求することであり、何かを変えればよいというものではない」、「それは聖霊から来るもの、祈りや信者との対話から得るもの」と教皇は話され、ご自分の経験から、「教会の開いている時間を長くする」「聴罪司祭がいつもいるようにする」「信徒による福音宣教を励ます」など、できることから始める「司牧上の回心」を勧められた。

また教皇は、「憐れみ深い司祭」「イエスを深く忠実に愛し、その最初の愛に常に立ち返る司祭」、「イエスの記憶を留め、機械的でない教会」、「教会の聖性への信頼」の必要を説いたほか、「婚姻の無効性問題」など家庭司牧のテーマに教会は今後いっそう関心を注ぐ意向であるとも述べられた。

教皇はこの集いで、「わたしは自分を司祭だと感じています。実際、自分は司祭であり、司教であると感じます。自分は重要で、権力があると考えるのは危険です。神のおかげで自分はまだ道を失っていないと思いますが、もしわたしがその危険に陥っていると思ったら、どうか『回心しなさい』と言ってください」と、皆の支えと祈りを願われている。








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