2013-07-03 18:36:33

聖母マリアをめぐる説教:ロザリオの祈りの集いで


「聖母月」の最終日にあたると共に典礼暦で「聖母の訪問」を記念した5月31日、教皇フランシスコはバチカンでロザリオの祈りの集いを開かれた。

教皇は講話の中で、「耳を傾け」「決意し」「行動する」女性として、聖母マリアを観想された。

教皇の講話は以下のとおり。

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親愛なる兄弟姉妹の皆さん

今晩、わたしたちは一緒にロザリオで祈りました。こうしてわたしたちの母、聖母マリアと共に、キリストの歩みや、わたしたちの救いに関するいくつかの出来事を追体験しました。聖母マリアは、わたしたちを確実にその子イエスに導いてくださいます。マリアは常にわたしたちをイエスに導く方なのです。

今日、わたしたちは聖母がその従姉妹エリザベトを訪ねた、「ご訪問」の出来事を祝います。マリアがどのように、現実的にまた具体的にその人生を歩んだかを示すこの神秘を、皆さんと一緒に黙想しましょう。

三つの言葉がマリアの行動を特徴づけています。「耳を傾けること」「決意すること」「行動すること」です。これらの言葉は、人生において主がわたしたちに求める道をも示しています。「耳を傾ける」「決意する」「行動する」ということです。

1.「耳を傾けること」。従姉妹のエリザベトを訪問する、マリアのこの行為はどこから生まれたのでしょうか。それは神の天使の一つの言葉によるものです。「あなたの親戚のエリザベトも、年老いているにも関わらず身ごもりました」(ルカ 1,36)。

マリアは神に耳を傾けることができます。気をつけてください。単なる「聞く」ではありません。注意を込めて、心を込めて、神への従順の心構えをもって「聴く、耳を傾ける」ということです。わたしたちが時々、主のみ前や、他人の前でしているように、気を散らしながら人の言葉を聞くのではなく、本当に身を引き締めて耳を傾けましょう。マリアは神に意識を集中し、神の言葉に聞き入りました。

しかし、マリアは出来事にも耳を傾けました。つまり自分の生活の出来事をも読み取ったのです。具体的な現実に注意し、その意味を理解するために、 物事の表面に留まらず、その奥深くまで洞察しました。

すでに年老いていた親戚のエリザベトが身ごもりました。これが出来事です。しかし、マリアはその出来事の意味に注意を払い、「神には不可能なことがない」という事実をそこから汲み取ることができるのです(ルカ1,37)。

これはわたしたちにも言えることです。わたしたちに語る神に耳を傾けること。毎日の出来事に耳を傾けること。人々に、出来事に、気を配ること。なぜなら主はわたしたちの生活の扉の前に立ち、いろいろな方法でその扉を叩き、わたしたちの歩みにいろいろなしるしを与え、そしてそのしるしに気づき、理解する能力をも与えてくださいます。マリアは聴く母です。神に、そして生活上の出来事にも、同じように注意深く耳を傾ける母です。

2.二番目の言葉は「決意する」ということです。マリアは急いで、せかせかとは生きていません。しかし、聖ルカが強調しているように、「彼女はこれらすべてを心の中で思いめぐらしていました」 (ルカ 2,19.51)。天使のお告げのあの決定的な瞬間でも、マリアは「どのようにしてこれが実現するのでしょうか」と尋ねます(ルカ1,34)。一瞬たりとも思いめぐらすことをやめません。そして、一歩前進し、決意します。

マリアは決してあわてた生き方はしません。しかし、必要な時だけは「急ぎます」。マリアは出来事に振り回されたりはしません。決意する苦労を厭いません。これはマリアの生活を決定的に変えるような根本的な選択にも見られます。「わたしは主のはしためです」(ルカ1,38)。

また毎日の生活に関しても同様でした。これらも意味深いものがあります。カナの婚宴のエピソードが思い出されます (ヨハネ2,1-11)。ここにもマリアの現実性、人間性、具体性がよく表れています。マリアは周りで起こる事や問題によく気を配ります。婚宴のためのぶどう酒がなくなってしまった新郎新婦の困惑を見て理解します。マリアは考え、イエスは何かできると知ります。そして、すぐイエスに何かして欲しいと頼みます。「彼らにはぶどう酒がありません」(同 3)。聖母はここで決意したのです。

時には、生活の中では決定が難しいこともあります。しばしば決定を延期し、自分の代わりに誰か他の人に決定を任せたりします。しばしば成り行きに任せ、時の流れに従ったりします。時には、わたしたちはやるべきことを知っていながら、実行する勇気がありません。あるいは決定が難しすぎるように思われたりします。なぜなら時流に逆らうのは難しいからです。

マリアはお告げの時も、ご訪問の際も、カナの婚姻の時も、時流に逆らいました。神の声に耳を傾け、考え、事実を把握するよう努めます、そして神にあまねく信頼しようと決意します。自分自身が身ごもっているにも関わらず、年老いた従姉妹を訪問しようと決定します。カナの婚宴でも、婚宴の喜びを救うために、イエスにすべてを任せようと決意します。

3. 三番目のことばは「行動」です。マリアは旅に出ます。「急いで行きました」 (ルカ 1,39)とあるとおりです。先週の日曜日、マリアのこの行動の仕方を強調しました。出発の決定に関しても、受けるであろう非難や困難にも関わらず、彼女は何を前にしても怖気づいたりしません。「急いで」出発します 。

祈りにおいて、彼女に語る神の前で思い巡らすことにおいて、またその生涯の黙想において、マリアは急ぐことがありません。時流に流されたり、成り行きにまかせたりはしません。しかし、神が彼女に求めていること、すべきことが明らかになるやいなや、マリアは迷ったり、後回しにしません。

この「急いで」について、聖アンブロジオは解説しています。「聖霊の恵みはぐずぐずさせません」。マリアの行動は、天使の言葉に対する彼女の従順の結果です。しかし、それは愛徳にも結ばれています。エリザベトのもとへ、お役に立てるようにと行くのです。愛のために、自分自身から、自分の家から、出て行くということを通し、そこに最も貴重なものをもたらすのです。すなわち、イエス、その子イエスをもたらすのです。

時には、わたしたちも耳を傾け、そして何をすべきかを考え、さらにはっきりとした決意までします。しかし、実行に移すということはありません。他の人々にわたしたちの援助、同情、愛徳、自分自身を、またわたしたちがいただき、今持っているものの中で、最も尊いもの、イエスとその福音を、言葉と特に具体的な行動の証しをもって、聖母マリアのように急いでもたらすために、ぐずぐずするのはやめましょう。

マリアは耳を傾ける女性、決意する女性、行動する女性です。耳を傾ける女性、マリアよ、わたしたちの耳を開いてください。この世の多くの言葉の中から、あなたの子イエスの言葉を聞き取れるようにしてください。今、わたしたちが生きているこの現実に耳を傾け、出会うすべての人、特に貧しい人々、必要に迫られている人々、困難にある人々に耳を傾けることができるようにしてください。

決意する女性、マリアよ、わたしたちの理性と心を照らしてください。迷うことなくあなたの子イエスの言葉に従い、その他のものに生活を支配されることのないよう、決意する勇気を与えてください。

実行の女性、マリアよ、わたしたちの手、足が、他人のために「急いで」動くようにしてください。あなたの子イエスの愛をもたらすために、あなたのように、この世に福音をもたらすために。アーメン








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