2013-06-27 18:54:28

教皇一般謁見・カテケーシス(2013.6.19)


親愛なる兄弟姉妹の皆さん

今日は、第2バチカン公会議が教会の本質として示す、もう一つの言葉を考察しましょう。公会議は教会はキリストの体であると言っています(『教会憲章』7) 。

この考察をまず「使徒言行録」のわたしたちがよく知っている一節から始めましょう。それはサウロの回心の話です。彼は後にパウロと呼ばれ、最も偉大な福音宣教者の一人となるのです(使徒言行録9,4-5)。サウロはキリスト教徒の迫害者でしたが、ダマスコに向かう途中、急に光に包まれ、落馬し、一つの声を聴きました。「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」。彼は尋ねます、「主よ、あなたは一体誰ですか」。その声は答えます、「わたしはあなたが迫害しているイエスである」(使徒言行録9,3-5)。聖パウロの体験は、キリスト教徒たちとキリストご自身との一致がどれほど深いかを語っています。イエスが昇天された時、イエスはわたしたちを孤児とはせず、聖霊の賜物によって、キリストとの一致はますます深くなりました。第2バチカン公会議は「イエスはご自分の霊を与えることによって、諸国民から呼び集めたご自分の兄弟たちを、ご自分の体として神秘的に構成したのです」と言っています。(『教会憲章』7)

体というイメージは、聖パウロが「コリントの信徒への手紙1」の中で特に説明している、教会とキリストの間にある深い絆を理解することを助けてくれます。第一に、体はわたしたちに生きている命ある現実を思い起こさせます。教会は福祉事業の団体でも文化政治団体でもありません。教会は歴史の中で活動し、歩み続ける生ける体です。この体には、導き、養い、そして支える、イエスという頭があります。これこそ、今、わたしが強調したいことです。もしも体から頭が離れてしまったら、その人はもう生きることはできません。教会においても同じです。わたしたちはいつもキリストにしっかりと結ばれていなければなりません。これだけではありません。生き続けるために、体の中に生命を伝えるリンパ液が流れていなければならないように、イエスがそのみことばをもってわたしたちを導き、聖体の秘跡で養い生かし、その愛をもってわたしたちに隣人を愛する力を与えてくださることができるようにしなければなりません。これをいつも実行しなければなりません。親愛なる兄弟姉妹の皆さん、イエスに一致していましょう。イエスに信頼しましょう。イエスの福音によって、わたしたちの生活を律しましょう。毎日の祈りによって、神のみことばに耳を傾け、秘跡に与ることによって、自分自身を養いましょう。

ここでキリストの体である教会の、二番目の側面について考えてみましょう。聖パウロは、人体には様々な異なる部分がありますが、それらがただ一つの身体を構成しているように、わたしたちも皆同じ唯一の聖霊によって、皆一つの体となるために洗礼を受けたと言っています(1コリント12,12-13)。ですから、教会の中には、多様性があり、様々な役割や任務があります。そこにはまったくの画一性というものはなく、そこには聖霊が分配する多くの賜物の豊かさがあるのです。しかし、そこには交わりと一致があり、キリストに深く結ばれ、皆互いに関わりあいながら、唯一の生ける身体を構成しするために協働します。これらをよく心に留めましょう。教会の一員であるということは、キリストとの一致の中に留まるということ、キリストからわたしたちをキリスト者として生かす神的生命を受けるということ、そして一致と交わりの道具である教皇や司教たちとも結ばれていること、分裂や個人主義の克服を学ぶこと、多様性の調和、各人の豊かさを十分に理解すること、一言でいうならば、神をもっともっと愛すること、家庭・学校・教会などで自分の周りの人々を愛するということです。覚えていてください。生きていくために体と部分は一体化していなければなりません。一致は常に対立に勝るものです。対立がしっかり解決されなければ、わたしたちは皆バラバラになってしまい、わたしたちを神からも離れさせてしまいます。対立はわたしたちを成長させることも、分裂させることもできるのです。分裂や争いの道を決して行かないようにしましょう。それぞれの違いを認めながらも、皆一致していましょう。いつも一致していましょう。これがイエスの道です。一致は対立に勝るのです。互いの争い、利己主義、噂話、分裂の誘惑から、わたしたちが解放されるよう、一致はわたしたちが主に願うべき恵みです。噂話はなんと大きな悪をもたらすことでしょう。決して他人の噂話などしてはいけません。キリスト者同士の分裂、派閥、利害への卑しい関心は、教会にどれほどの害をもたらすことでしょう。

わたしたちの間に存在する分裂には、キリスト教会間の分裂もあります。正教徒、プロテスタント、カトリック、なぜこんな分裂があるのでしょう。わたしたちは一致をもたらす努力をすべきです。一つのことを語りたいと思います。今日、家を出る前に40分か半時間、福音教会の牧師と会いました。わたしたちは共に祈り、一致を求めました。わたしたちも、カトリック信者同士で、そして他のキリスト教徒たちと、主がわたしたちに一致を賜るよう祈らなければなりません。しかし、わたしたちカトリック信者の間に一致を実現できないならば、どうしてすべてのキリスト教徒の間に一致を実現できるでしょうか。家庭の中の一致はどうでしょうか。どれだけ多くの家庭が分裂し、争っていることでしょう。一致を求めなさい。教会を形成するのは一致です。一致は、イエス・キリストから来ます。イエスは一致を実現するために、わたしたちに聖霊を遣わしてくださいます。

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、いつもキリストに深く一致した、教会の体の一部であることができるように、わたしたちの争いや分裂、利己主義によってキリストの体を苦しめることのないように、そして、聖霊がわたしたちの心に注いでくれる愛の力、あの強い力によって、お互いがしっかりと結ばれた生きた肢体となれるよう、神に助けを願いましょう、








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