2013-05-02 18:58:31

労働者聖ヨセフ:仕事の大切さと尊厳をテーマに、教皇一般謁見


教皇フランシスコは、バチカンで1日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

カトリック教会の典礼暦で「労働者聖ヨセフ」を記念したこの日、教皇は謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、労働の大切さと尊厳をテーマに話された。

そして、雇用に対する新たな努力を呼びかけると共に、社会正義の規範をはずれた身勝手な利潤追求に警告を発せられた。

教皇のカテケーシスは以下のとおり。

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今日5月1日、わたしたちは労働者聖ヨセフを祝うと共に、伝統的に聖母に捧げる月を開始します。この集いでは、イエスの生涯における聖ヨセフと聖母マリアの重要な存在に注目しながら、労働について、またイエスを観想することについて考えて見たいと思います。

1.聖マタイの福音に、イエスが故郷ナザレに帰り、会堂で説教するエピソードがあります。ここではイエスの叡智を前にした同郷人たちの驚きが強調されています。彼らは口々に問いました。「この人は大工の息子ではないか?」(13,55)。イエスは神の業によっておとめマリアから生まれ、わたしたちの間に、歴史の中に入ってこられました。しかしそこには、聖ヨセフの存在がありました。聖ヨセフは、イエスを法律上の父として守っただけでなく、自分の仕事をイエスに教えました。聖家族の中に生まれ育ったイエスは、ナザレの工房で聖ヨセフから大工の仕事を学び、毎日の労苦や、満足、困難を分かち合いました。

これは労働の尊厳と重要性をわたしたちに思い起こさせます。創世記は、神は男と女を創造され、彼らが地に満ち、それを支配することを託されましたが、それは地を搾取することではなく、耕し守り、仕事を通してその世話をすることを意味していました (創世記 1,28; 2,15)。労働は、神の愛のご計画の一部です。わたしたちはすべての被造物の財産を守り育てるように呼ばれており、こうしてわたしたちはある意味で創造の業に参与するのです。労働は人間の尊厳の基本的要素です。労働は一つのイメージで言えば、わたしたちに尊厳を塗油し、わたしたちを尊厳で満たし、今もなお常に働かれる神(ヨハネ5,17)に似た者としてくれるのです。労働は自分自身や家族を養い、自国の成長に貢献します。ここでわたしは、今日様々な国で起きている労働界や企業の困難を思い、若い人たちはもとより、すべての失業者のことを考えます。これらの失業は、社会正義の規範をはずれ身勝手に利益を追求する、社会の経済至上主義的な考えがその原因となっていることが少なくありません。

皆に連帯を呼びかけると共に、公的に責任ある立場の人々に雇用のためのさらなる努力を励ましたいと思います。これは、人間の尊厳に注意を払うことはもとより、希望を失わないで欲しいと言いたいからです。聖ヨセフもまた、困難な時を体験しましたが、わたしたちを見棄てることのない神への確信において、彼は決して信頼を失うことなく、その困難を乗り越える術を知っていました。

特に皆さん、若い人たちに言いたいことがあります。勉強や仕事、友情関係や、他人を助けることを通して、毎日の義務にしっかり取り組んでください。皆さんの未来は、人生のこの貴重な時期をどのように過ごすかにかかっているのです。やるべきことや犠牲を前に恐れてはいけません。未来を恐れをもって眺めてはいけません。生き生きとした希望を持ち続けることです。水平線にはいつも一筋の光があります。

労働をめぐる状況でもう一つ懸念されることがあります。それは「奴隷的労働」とも言うべきもの、人を奴隷のように扱う仕事のことです。世界中でどれだけの人がこの種の奴隷状態の犠牲になったことでしょう。本来、労働は人に尊厳を与えることで、人に奉仕するのに対し、ここでは人間が労働に仕えています。信仰における兄弟姉妹の皆さん、そしてすべての善意の人々にお願いします。奴隷的労働を伴う人身売買に断固として反対しましょう。

2.次のテーマに移りましょう。沈黙のうちに日常生活をこなしながら、聖ヨセフはマリアと共に、唯一つの共通の関心に心を傾けていました。それはイエスです。わたしたちのために人となられた神の御子の成長を、彼らは献身と優しさをもって見守り、すべての出来事を心に留めていました。聖ルカの福音書には「これらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らせていた」(2, 19 / 51)と、マリアのこうした態度が2度にわたり書かれています。またそれは聖ヨセフの態度でもありました。

主に耳を傾けるには、主を観想し、わたしたちの生活の中にその常なる現存を感じなければなりません。主と対話するために留まり、祈りを通して主のためにスペースをさかなくてはなりません。わたしたち皆が、今朝たくさん参加してくれた少年少女と若者の皆さんも含めて、自分に問わなくてはなりません。どのようなスペースを主のために捧げるのか。
わたしは主と対話するために留まることがあるだろうかと。わたしたちの小さい時から、両親たちは一日を祈りで始め、祈りで終わるようにと習慣づけてくれ、わたしたちと共におられる神の友情と愛を感じることができるように教えてくれました。わたしたちの一日の中で、もっと主のことを思い出すようにしましょう!

この5月において、わたしはロザリオの祈りの大切さと素晴らしさを思い起こしたいと思います。アベ・マリアを唱えながら、わたしたちはイエスの神秘の観想へと導かれ、イエスの生涯の中心的な出来事について思いを巡らせるようになります。マリアと聖ヨセフにとってそうであったように、イエスがわたしたちの考えや関心や行動の中心でありますように。この5月に特に家族や友だちと一緒に、または小教区で、ロザリオまたはイエスとマリアに捧げる祈りを唱えることができれば、それは素晴らしいことです。一緒に捧げる祈りは、家庭生活や友情をより強めるための貴重な時です。家族の中で、そして家族のように、もっと祈ることを学びましょう!

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、わたしたちが日常の義務に忠実に、毎日の行動を通して信仰を生き、わたしたちの人生のスペースをより主のために捧げることで、神の御顔を観想できるよう、聖ヨセフとおとめマリアに教えを請いましょう。








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