2013-04-18 17:40:35

「観想し、行動しよう」イエスの昇天をテーマに、教皇一般謁見


教皇フランシスコは、17日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇は使徒信条の考察を続けながら、この日は特に「(イエス・キリストは)天に昇り、父の右の座に着いておられます」という部分をテーマに話された。

そして、イエスの昇天が何を意味するのか、またこの出来事がキリスト者の信仰生活にどういう影響をもたらすのかを信者と共に考えられた。

イエスは御父の栄光に入られるために、十字架を通らなければならなっかったと教皇は強調。各自の信仰においても、神の栄光に与るためには、たとえ犠牲や計画変更を要求されても、日常生活の中で神の御旨に忠実であることが必要と述べられた。

また、イエスが昇天したオリーブ山上は、イエスが受難前に祈りに専心した場所の近くであることから、教皇は「神の計画に忠実に生きる恵みは、祈りから来る」ということを示された。

教皇は、イエスは弟子たちを「ベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて彼らを祝福された。そして祝福しながら、彼らから離れ、天に上げられた。彼らはイエスの前にひれ伏した。そして大きな喜びをもってエルサレムに戻り、絶えず神殿にいて、神を賛美していた」(ルカ24,50-53)というルカ福音書の主の昇天についての記述を観想。

ここで教皇は、イエスの昇天を目の当たりにした弟子たちが、ひれ伏すという形で信仰を表したという態度に注目された。

また、使徒たちがイエスの昇天を見た後、エルサレムに「大きな喜びをもって」帰ったことを、イエスがいつも彼らと共に留まり、彼らを見棄ることがないことを、弟子たちが信仰の眼差しをもって理解したからであると説明された。

さらに教皇は、使徒言行録中のイエスの昇天の記述にも言及。弟子たちが昇天するイエスを追って天を見上げていると、白い服を着た2人の人が、彼らに「なぜ天を見上げて立っているのか」と諭したことに、皆の注意を向けられた。

教皇はこの諭しを、「天を見上げたままでいないで、天に昇るのを見たのと同じ有様で、イエスがまたおいでになるという確信を生活と証しの中で育むように」との励まし、「イエスの統治を観想し、そこから福音を告げ、証しするための力を得るように」との招きとして解説。「観想すること、行動すること」その両方がキリスト者の生活に必要と説かれた。

「主の昇天は、イエスの不在をいうのではなく、イエスがわたしたちの間に新しい方法でおられることを意味する」と教皇は述べ、わたしたちを守り、導き、天に引き上げるキリストの愛を世界に伝えていこうと、信者らを励まされた。








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