2013-02-24 17:40:34

「神との出会いの山に登り続ける」ベネディクト16世、最後のアンジェラスの集い


教皇ベネディクト16世は、24日、在位中最後となる日曜正午のアンジェラスの祈りの集いで、世界各国の巡礼者に感謝の言葉をおくられた。

このところ続く悪天候でローマは朝から冷え込む一日となったが、退位を数日後に控えたベネディクト16世の祝福を受けるために、バチカンの聖ペトロ広場に向かう人々は時間を追うごとに増していった。広場に入り切れない巡礼者たちは大聖堂前のコンチリアツィオーネ通りをはじめ、周辺の道を埋め、人の波は十万人をはるかに超えるものと推測された。

世界中の巡礼団が掲げる多くのプラカードや横断幕には、それぞれの国の言葉で「教皇、ありがとう」「互いに祈りましょう」などと記されていた。

人々の大きな歓声に迎えられ、バチカン宮殿の窓辺に姿を見せられたベネディクト16世は、祈りの前の説教を行われたが、その説教は会衆の温かい拍手で何度も中断され、そのたびに教皇は笑顔で「ありがとう」と答えられていた。

説教で、この日のミサの福音朗読、「主の変容」のエピソード(ルカ9,28b-36)をテーマに取り上げながら、教皇は、イエスの変容が弟子たちを連れて山の上で祈っている時に起きたことに注目。

この出来事のすぐ前にご自分の死と復活を予告しているイエスは、変容を通して弟子たちにその栄光の先取りを見せることになったとも話された。

さらに教皇は、イエスの変容が、モーセとエリヤを伴っていることについて、律法と預言者を象徴するこの2人の存在は、神と人との契約の歴史のすべてが今やキリストに集約され、モーセが出エジプトで「地上」の「約束の地」に人々を連れ出したのとは異なり、キリストは人々を「天」に導くことを意味していると指摘された。

主の変容の観想から学ぶこととして、教皇は祈りの大切さを特別に強調。祈り無くしては、使徒職も慈愛の業も、単なる活動主義となってしまうと、注意を促された。

「祈りは世の中やその矛盾から逃れることではなく、人を再び歩ませ、行動に導くもの」と述べた教皇は、「キリスト教とは、神との出会いの山に登り続けることであり、そこで得た神の愛と力をもって再び山を降り、神の愛と同じ愛をもって、兄弟姉妹に奉仕することである」と説かれた。

教皇は、この日の福音の御言葉を特に今の自分に向けられたものと感じたと述べ、「主はわたしに山に登り、そこでさらに祈りと観想に身を捧げるように招かれています。しかし、それは教会を見棄てることではありません。むしろ、神はこれまでわたしが努めてきたのと同様の教会への奉仕と愛をもって、わたしの年齢と体力によりふさわしい方法で、教会のために尽くし続けるよう願われているのです」と信者たちに話しかけられた。

曇っていたローマの空は、この集いが行われた時間には太陽をのぞかせた。教皇は「陽が少し差してきたことを主に感謝しましょう」と話されながら、世界各国の巡礼者に様々な言語で挨拶をおくられた。

教皇は最後に、イタリア語で、この集いに参加した多くの教区、小教区、協会や運動団体、学校、そして若者、お年寄り、家族らに、心からの礼を述べられた。

教皇は人々の示してくれた愛情と分かち合い、この特別な時にあるご自分と教会のための祈りに感謝を表しながら、「祈りの中でわたしたちはいつも近くにいます。すべての皆さん、ありがとう」と呼びかけられた。

ベネディクト16世と信者たちとの出会いは、27日(水)の一般謁見が最終となる。








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