2013-02-19 19:06:58

ベネディクト16世、「真理の協働者」


「愛の教会は、真理の教会でもあります」。ベネディクト16世はその教皇職の最初から、福音的真理の証しの中心性を強調してきた。

この挑戦は、ヨゼフ・ラッツィンガー神父が1977年、ドイツのミュンヘン=フライジング大司教に任命された際に選んだ司教モットー「真理のために共に働く者」にすでに表れている。このモットーはヨハネの手紙3の言葉から引用されたものである。

2005年4月18日、枢機卿会の主席としてラッツィンガー枢機卿は次のように言っている。
「この数十年間、わたしたちはどれほどの教義やイデオロギーの潮流に接したでしょうか。しかし、わたしたちは別のものさしを持っています。神の御子が偽りと真理とを見分ける基準を与えてくださるのです」。

相対主義の蔓延に対する警告を述べた未来の教皇の説教で、今日の教会の急務の課題として示されたもの、それは「真理を証しすること」であった。

ベネディクト16世が説く「真理」とは何なのかを教皇の言葉の中に振り返ってみたい。(バチカン放送局 アレッサンドロ・ジソッティ)

「もちろん、真理を所有しているのはわたしたちではありません。しかし、真理がわたしたちを持っているのです。真理であるキリストが、わたしたちの手を取っておられます。そして、わたしたちの良心に対する情熱的な追求の歩みの中で、キリストの手はわたしたちとしっかりとつながれているのです。キリストの手に支えられたわたしたちは、自由であると同時に安心なのです。」(2012年12月21日 教皇庁関係者への講話)

「真理とは、イエス・キリストである」と教皇は言い、その最初の回勅「神は愛」の中で、キリスト教の始まりには、倫理的な決定や偉大な理想があったのではなく、まさにイエス・キリストとの出会いがあったのであり、この出会いの本物さは、わたしたちに犠牲や迫害をも受け入れさせるものであったと記している。

「キリストのミッションに参与するものは、苦しみや、反対を避けて通ることはできません。なぜならそれはこの世の抵抗と権力に衝突するものだからです。」(2010年5月21日 教皇庁宣教事業関係者に)

真理とカリタス(慈愛)とは切り離せないものであると教皇は繰り返し述べている。回勅「真理に根差した愛」の中で、「真理無くしては、愛は感傷主義に陥ってしまいます」と述べ、「真理の無い文化における愛の危機」を警告している。

そして、教皇は、信仰は人生を妨げるものではなく、真理に導く光となると説いている。

「真理を、容易に曲げられるはかない合意として解釈しがちな傾向に対し、キリスト教信仰は倫理・哲学においても、真理のために寄与し、たとえば生命倫理などの研究においても、それによって人間の理性が様々な解決を見つけられるよう、信頼できる倫理の方向性を提示しています。」(2010年1月15日 教理省関係者に)

この真理の追求の中で、ベネディクト16世は信仰と理性の対話を強化するよう努めてきた。神学者である教皇は、理性もまた神に近づくことを助けると話している。

「信仰と理性の対話は、もしそれが誠実で厳密なものであるならば、より効果的で説得力ある方法で、イエス・キリストにおいて啓示された神への信仰が道理にかなっていることを知らせ、イエス・キリストの中に、あらゆる点で真の人間の完成を示すことができるのです。」(2006年6月5日 ローマ教区会議で)








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