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2013-01-30 18:29:45
教皇一般謁見・カテケーシス要約(2013.1.30)
親愛なる兄弟姉妹の皆さん
「信仰年」のカテケーシスを続けながら、今日は信仰宣言の中の「全能の御父」という言葉を考察してみましょう。
多くの社会で父親像が危機に瀕している状態にあっても、聖書は神をなぜ「父」と呼ぶのかをわたしたちにはっきりと示しています。
神は無限に寛大で、真実で、赦すに豊かなお方です。神はわたしたちの救いのために、その御一人子を与えるほど世を愛されます。
見えない神の姿として、イエスは、神を自分の子らを決して見捨てるこのない憐れみ深い父として示し、わたしたちに対するその愛は十字架を抱くことすら厭わないものであったことを教えてくれました。
キリストにおいて、神はわたしたちを息子、娘としてくださいました。
十字架は、わたしたちの父である神が、いかに全能であるかをも示しています。
神の全能の力は、わたしたちの人間的な力の概念をはるかに凌駕するものです。
神の力は、悪に対する善の勝利、死に対する命の勝利、罪の束縛に対する自由の決定的な勝利において、忍耐強い愛として表現されます。
キリストの十字架を観想する時、全能の父なる神に向かい、わたしたち自身を信頼をもって神の憐れみの愛と救いの力に託す恵みを祈り求めましょう。
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