2013-01-16 14:56:44

「キリスト者の一致の恵みを祈ろう」教皇一般謁見


教皇ベネディクト16世は、16日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

この席で教皇は、「神が何をわたしたちに求めておられるか」(参考 ミカ6:6-8)をテーマに、18日から25日まで記念される今年の「キリスト教一致祈祷週間」に言及。

主のすべての弟子たちが一致する恵みを絶えず神に祈り求めようと、信者たちに呼びかけられた。

そして、わたしたちが皆共にイエスを世の救い主として宣言できるよう、聖霊の尽きることのない力は、一致に向けてのわたしたちの誠実な努力に活力を与えてくれると、教皇は話された。

この日のカテケーシス(教会の教えの解説)では、教皇は神ご自身の啓示をテーマに講話を行われた。

旧約聖書が語るように、人類創造の後、神は人間の原罪や傲慢にも関わらず、特にアブラハムとの契約とイスラエルの民の歩みを通し、人間に再び友情を与えることを望まれたと教皇は述べ、イスラエルの民の歴史に言葉と業を介しての神の啓示の歩みを振り返られた。

主の降誕にわたしたちが観想するのは、まさにこの神の契約の完全な実現であると教皇は強調。神は御子を送ることで、ナザレのイエスにおいてその民を現実に訪れ、イエスを通してその御顔を示されたと話された。

受難を前にしたイエスは、弟子たちに恐れず、神を信じるようにと招くと同時に、彼らとの対話の中で御父について触れている。ここでフィリポは「主よ、わたしたちに御父を示してください。そうすれば満足できます」(ヨハネ14,8)と言い、御父を見せて欲しいと頼む。すると、イエスは「わたしを見たものは、父を見たのだ」(同14,9)と明言した。

教皇は、イエスのこの回答は新約聖書のメッセージを集約するものと指摘。それはベツレヘムの洞窟でのメッセージ、すなわち神がイエス・キリストにおいて見える存在となったということであると説かれた。

受肉の神秘によって、人となられた神の御子イエスの中に神の御顔を求めることができるようになり、「わたしを見たものは、父を見たのだ」というフィリポへの言葉どおり、イエスを通して歴史の中に新たな方法での神の啓示が始まったと、教皇は話された。

また、イエスにおいて神と人間との取りなしが完成されたと述べた教皇は、旧約聖書ではモーセをはじめ多くの人々が神への仲介の役割を果たしたが、真の神であると共に真の人間であるイエスは、神と人間との新しい永遠の契約の仲介者であると説明された。

教皇は、「わたしたちの全存在をイエス・キリストとの出会い、キリストへの愛に向けなければならない」と呼びかけ、そうすることでわたしたちは隣人たちへの愛をも知り、貧しく弱い人々、苦しむ人々の中にイエスの御顔を見出すことになるだろうと話された。








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