2013-01-03 17:35:29

「聖母のように神に信頼し、希望の地を歩む」教皇一般謁見


教皇ベネディクト16世は、2日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

バチカンのパウロ6世ホールで行われた2013年最初の一般謁見は、クリスマスと新年の休暇を利用して訪れた世界各国の参加者で活気づき、会場には長崎の被爆マリア像を携えた日本の巡礼団の姿も見られた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇はイエスの誕生をテーマに講話された。

主の降誕は、世の中や人々の心を覆う闇を光で照らし、希望と喜びをもたらしてくれると教皇は述べながら、ではこの光はどこから来るのか、歴史を変えるほどの知らせをもたらしたこの幼子は、ベツレヘムの馬小屋で生まれたことを超えて、何か神秘的なものをその誕生に秘めてはいないだろうかと問われた。

イエスへの尋問で、総督ピラトも「お前はどこから来たのか」(ヨハネ19,9)と問いかけているが、一方イエスは以前に「わたしは天から降って来たパンである」と話し、「これはヨセフの息子のイエスではないか」とユダヤ人たちをいぶかしがらせたエピソード(ヨハネ6,42)を教皇は皆に思い起こさせた。

イエスはナザレの出身で、ベツレヘムで生まれたことは確かだが、彼は本当はどこから来たのであろうかと、再び問いを投げかけた教皇は、この疑問に四福音書ははっきりと、イエスの真の出身は御父であると答えていると強調。

「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。よって生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」(ルカ1,35)と天使がマリアに言ったように、イエスが神の神秘から生まれたことは、すでに福音書のイエスの誕生のエピソードに記されていると指摘された。

教皇は、使徒信条の「主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ」という一節でわたしたちが頭を下げるのは、神を隠していた覆いが開かれ、神がエンマヌエル、「わたしたちの間におられる神」になられる、その近づきがたい神秘に触れるからであると説明された。

わたしたちの人生において、世に対して証しすべきことを前に、時に自分の貧しさや至らなさを感じることがあるが、神はまさに、偉大なローマ帝国から遠い、名も知られぬ村の一人の謙遜な女性を選んだことを忘れてはならないと教皇は述べ、どんな困難にあっても、マリアのように神に信頼することで、わたしたちは確かで、未来の希望に開いた地平を歩むことになると話された。








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