2012-11-29 19:20:41

特集:教皇の説教 ローマの高齢者支援施設で


教皇ベネディクト16世は、11月12日、ローマ市内の高齢者支援施設「カーサ・ファミリア ヴィヴァ・アンツィアーニ 」を訪問された。

施設に入居している高齢者、関係者への教皇の挨拶は以下のとおり。

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親愛なる兄弟姉妹の皆さん

聖エディジオ共同体の高齢者支援施設「カーサ・ファミリア」を訪問し、皆さんと共にひとときを過ごせることを大変うれしく思います。

わたしは今日、皆さんのところにローマの司教としてだけではなく、皆さんと同年配の高齢者としてやってきました。

この歳の人々の持つ困難や問題、そして限界を、わたし自身もよく知っています。そして、現代の経済危機がこの年代の多くの人々に重くのしかかっていることもよく知っています。

この歳になると、時には、新鮮なエネルギーに満ち、多くの計画の実現を夢見ていた、若かりし頃を思い出し、悔しくなることもあります。今はもう人生の終わり、夕暮れ時だ、などと思い、時々悲しくなってしまうのです。

でも今朝、わたしはこの歳が人々にもたらす困難を十分に自覚した上で、深い確信をもって皆さんに言いたいと思います。「老人であることは素晴らしいことです」。

各世代にあって、人は主の現存と、その祝福、さらにそれぞれの年齢にある豊かさを発見する必要があります。決して悲しみの中に閉じこもる必要はありません。わたしたちは長寿というお恵みをいただいたのです。わたしたちの年齢にあって、何かの困難や持病があったとしても、生きるということは素晴らしいことです。わたしたちの顔には、決して悲しみではなく、いつも神から愛されているという喜びが溢れていますように。

聖書において、長寿は神の祝福とみなされています。今日、この長寿の祝福は、多くの国々に広がっています。長寿は評価され、かつ価値を認められるべき恵みだと考えるべきです。

しかしながら、効率や経済の観点に支配される今日の社会では、しばしば長寿は恵みだとはみなされません。お年寄りを非生産的、無益な存在とみなし、かえってその価値を拒絶するのです。

疎外された人々、自分の家から遠く離れ、孤独に生きる人々の嘆きがしばしば聞かれます。お年寄りたちが自分の家に留まることができるように、まず各家庭から、また行政ももっと真剣に取り組む必要があると思われます。

わたしたち高齢者が持っている生活の知恵は大きな富です。一つの社会、わたしはそれを一つの文化とも言いたいのですが、それがどの程度の高さに達しているかを判断するためには、そこでお年寄りたちがどのように扱われ、彼らに生きるためのどのような場が提供されているかを見ればよいのです。高齢者に場を提供するということは、生命に場を提供することです。

聖エディジオ共同体は、その運動の初めから、彼らがその生活の場に留まれるように、またローマや世界中に多くの高齢者施設を開設しながら、常にお年寄りたちの歩みを支えてきました。  

若者と高齢者の連帯を通して、教会はすべての世代を取り込む一つの家庭、そこでは誰もが「我が家」にいると感じ、儲けや物を所有すると言うことではなく、無償と愛の論理が支配する「一つの家庭」であるとの理解を助けてくれました。

老年期に入って生命が弱くなっても、その価値も尊厳も失われません。誰でも存在する限り、どの時期でも神から望まれ、愛され、大切で必要な存在です。高齢者たちは社会にとって、特に若者たちにとって大きな価値であることを強調したいと思います。

お年寄りたちとの実りある触れ合いなくして、真の人間的成長も、教育もありえません。 なぜなら高齢者の存在そのものが、若者が人生の歩みの貴重な指針を見出す開かれた本のようなものだからです。

親愛なる友人の皆さん、わたしたちの年齢になると、他人の助けが必要であるのを実感します。これは教皇にも言えることです。

福音の中で、イエスは聖ペトロに言いました。「あなたがまだ若かった頃は自分で着物を着、行きたいところに行っていました。しかし、年とったら手を伸ばし他人に着物を着せもらい、行きたくもないところに連れて行かれるでしょう」 (ヨハネ21, 18)。

主はこの言葉をもって、使徒聖ペトロが殉教に至るまでその信仰を証しすることに言及したのです。しかし、この言葉は、人の助けを必要とする高齢者の状況をも示唆しています。

わたしはこの事実の中に、主の恵みを見たいと思います。なぜなら人から支えられること、同伴されること、人の愛情を感じるということは、一つのお恵みなのです。これは人生のどの時期にあっても、大切なことです。誰も人の助けなしで、一人では生きていけません。人間は他人との関わりの中で生きる存在です。

この家で、皆が助け合いながら、愛という生命の泉に生かされる一つの家庭を築いているのを見るのは大変嬉しいことです。

親愛なる高齢者の皆さん。様々な困難を抱え、たいした用事も訪問もなく、時々一日がとてつもなく長く空しく感じることがあるでしょう。しかし、決して気を落とさないでください。皆さんはたとえ苦しみや病いにあっても、社会にとっての宝なのです。

人生のこの時期は、神との関係を深めるための、よい機会でもあります。福者ヨハネ・パウロ2世教皇の模範は、今も皆を照らし続けています。皆さんは祈りという素晴らしい貴重な資源をお持ちであることを忘れないでください。信仰と献忍をもって祈ることによって、皆さんは神のもとで、皆のための取次ぎ者となるのです。

教会のために、またわたしのために、さらに世界の必要のため、貧しい人々のため、そしてこの世界にもう暴力がなくなるよう祈ってください。

今日、わたしは教会の善と世界の平和とを、皆さんの祈りに託したいと思います。 教皇は皆さんを愛し、皆さんすべてに大いに期待しています。しばしばあまりにも個人主義、効率主義に毒されたこの社会において、神から愛されていることを感じながら、神の愛の輝きを伝えてください。 神はいつも皆さんと、また皆さんをその愛情と助けをもって支えるすべての人々と共におられるでしょう。

皆さんを母としての愛をもっていつもわたしたちの歩みに伴ってくださる、聖母マリアの母なる取次ぎに托します。そして皆さん一人ひとりを祝福します。皆さんありがとう。








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