2012-10-11 18:56:22

「信仰年」開幕、バチカンで教皇ミサ「現代の霊的砂漠を信仰と共に歩もう」


カトリック教会は、11日、第2バチカン公会議の開催から50周年を迎えた。

教皇ベネディクト16世は、この朝、バチカンの聖ペトロ広場でミサを捧げられ、公会議50周年を祝うと共に、「信仰年」を正式に開始された。

ミサには、世界各国から集った枢機卿・司教らおよそ400人のほか、正教会のコンスタンティノーポリ総主教バルトロメオ1世、英国国教会のローワン・ウイリアムズ・カンタベリー大主教らも参列した。

入祭唱と共に、現在開催中のシノドスに出席している司教らの行列が続いたが、これは第2バチカン公会議初日に参加司教らが荘厳に聖ペトロ大聖堂への入場を行なったことを思い起こすもの。聖書台には、公会議中の儀式に用いられた福音書の復刻版が掲げられた。

ミサの説教で教皇は、この記念すべき日に「信仰年」の幕開けを告げる大きな喜びを表された。

教皇はこの機会に、同公会議を単に記憶に留めるのでなく、公会議の精神に深く入り込み、それを自分たちのものとしながら、その真の意味を伝えていかなければならないと呼びかけられた。

第2バチカン公会議の意味は、かつても今も「キリストにおける信仰」、すなわちキリストを知らないすべての人、そして歴史の歩みの中を旅する教会のすべての人々にキリストを伝えたいという内面からの促しに動かされた「使徒的信仰」にあると教皇は明言。

イエスはキリスト教信仰の中心であり、キリスト者は、神の御顔を啓示したイエス・キリストを通して神を信じるのであると強調された。

教皇は、第2バチカン公会議開会式の福者ヨハネ23世の言葉を引用。ヨハネ23世がこの公会議で最も重要なこととして「キリスト教の聖なる教義が大切に守られ、より効果のある形で教えられること」を強調し、「当公会議の主な目的は、教義に関するあれこれのテーマを討議することではない」「この確かな普遍の教義が忠実に尊重され、深められ、現代の要求に応える形で示されることが必要である」と述べている点に注意を向けられた。

ご自身もかつて神学顧問として第2バチカン公会議に参加した教皇は、「信仰を現代の要求のために犠牲にしないと同時に、過去に縛り付けることもせず、今日の時代にその真理と素晴らしさを再び輝かせる」という共通の使命を前に体験した、公会議中の感動的な緊張感を回想された。

教皇は、公会議開催50周年という意味ある機会に、教会があの前向きな緊張感、現代の人々に再びキリストを告げたいというあの熱望を再び見出すことを望まれた。

新しい福音宣教に対する内的な促しが理想に留まったり、あるいは混乱を生まないためには、具体的で正確な基盤が必要となると教皇は述べ、その基盤としての公会議公文書の重要性に言及。それらを何度も読み返すことで、公会議の真の精神を知るよう勧められた。

「今日、教会が『信仰年』を催し、新しい福音宣教を提案するのは、公会議開催を記念するためではなく、50年前以上にそれが必要とされているからである」と教皇は述べ、ここ数年間にますます広がった「霊的な砂漠化」を指摘。

しかし、まさにこの砂漠から旅立つことで、わたしたちは信じることの喜びと大切さを改めて発見できると説かれた。

砂漠において生きるために本当に不可欠なものが見えてくるように、現代社会でも神に対する渇きのしるしがいたるところで見て取れると話しながら、砂漠には約束の地への道のりを示す「信仰の人」が必要と、教皇は信者らを励まされた。

人生は旅にたとえられるものであり、知恵ある旅人は生きる術を学び、それを人と分け合うことを知っていると述べた教皇は、「信仰年」を「現代の砂漠の巡礼」と表現された。

そして、その巡礼には「杖も袋もパンも金も持ってはならない」(ルカ 9,3)とイエスが使徒たちを宣教に派遣しながら言ったように、ただ必要なものだけを身につけていくべきであり、それは福音と教会の信仰であると話された。さらに教皇はこれらをよりよく学ぶためのものとして、第2バチカン公会議公文書と「カトリック教会のカテキズム」を示された。

公会議が開幕した1962年10月11日は当時の典礼暦で「神の母」の祝日であったことを紹介しつつ、教皇は「信仰年」を聖母の保護に託し、「新しい福音宣教の歩みを聖母がいつも星のように照らしてくださるように」と祈られた。

ミサの終わりに教皇は、第2バチカン公会議の公文書と「カトリック教会のカテキズム」を祝別し、信者らの代表に手渡された。








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