2012-09-07 17:29:22

教皇一般謁見・カテケーシス(2012.9.5)


親愛なる兄弟姉妹の皆さん

今日のカテケーシスでは、新約聖書の最後の書で、「黙示録」とも呼ばれている聖ヨハネの「啓示の書」の冒頭部分から、祈りについて考察してみましょう。

黙示録はある意味で難しい本だと言えます。しかし同時に、大変内容豊かな本でもあります。

黙示録の初めの部分の言葉は、祈りとは何よりもまず私たちに語りかける神に耳を傾けることであるという重要な教えを含んでいます。

今日、多くの人々は様々な無意味な騒音に妨げられ、神の御言葉にじっと耳を傾けることを忘れ去っています。

黙示録の最初のページは、祈りとは、ただ私たちの種々の必要を満たすために費やされる多くの懇願の言葉ではなく、私たちに力と希望と救いをもたらすイエス・キリストを送ってくださったその大きな恵みと愛のゆえに、父なる神を賛美することから始めるべきだと教えています。

私たちは、自分たちの生活にキリストを迎え入れ、さらにキリストの御旨に従い、キリスト教的な人生を育み、それをより深いものとしていかなければなりません。

絶え間ない祈りは、私たち自身の生活と歴史における、神の現存の意味を教えてくれます。

他の人々と共に唱える祈り、特に典礼の祈りは、私たちの間におられ、十字架上で死にそして復活されたキリストの存在に気付かせてくれます。

キリストを愛し、キリストに従えば従うほど、私たちは祈りにおいてキリストに出会うことをますます望むようになります。なぜなら、キリストは平和、希望であり、私たちの生命の力、支えだからです。








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