2012-08-23 17:57:51

教皇一般謁見・カテケーシス(2012.8.8)


親愛なる兄弟姉妹の皆さん

8月8日は、説教者修道会、すなわちドミニコ会の創立者・司祭、グスマンの聖ドミニコの祝日です。以前にもカテケーシスで聖ドミニコを取り上げたことがありますが、そこでは彼が異端反駁にいかに優れた貢献をしたかを紹介しました。

今日は、聖ドミニコの霊性の中核ともいえる、その祈りの生活に触れてみたいと思います。聖ドミニコは祈りの人でした。神への愛に捕らえられ、ただ霊魂の救いのみを渇望し、特に当時広まっていた異端のわなに陥った霊魂の救いを熱く望みました。聖ドミニコはキリストに倣う者として、福音の三勧告を完全に実行し、清貧な生活の模範を神の御言葉の宣教と一致させていました。聖霊の導きの下に、キリスト教的完徳の道を邁進しました。祈りは、いかなる時にも、彼の使徒的活動をより豊かに刷新する力でした。

ドミニコ会第2代総長、ザクセンの福者ヨルダンは、聖ドミニコについて次のように書いています。「日中には、彼ほど快く人と接する者はおらず、夜には、彼ほど祈りに潜心する者はいなかった。昼は隣人のために使い、夜は神にすべてを捧げ尽くしていた」。聖ドミニコの中に私たちは神の神秘の観想と使徒的活動の完全な調和を見ることができます。

聖ドミニコに最も近かった人々の証言によれば、「彼はいつも神と話し、神について話していました」。このような証言は、聖ドミニコの神との深い一致を表すと同時に、人々を神との一致に導きたいとの耐えざる努力をも示しています。

聖ドミニコは、祈りについて何も書き残してはいませんが、ドミニコ会は、言い伝えられた聖ドミニコの祈りの体験を一冊の本にまとめました。「聖ドミニコの祈りの9つの方法」と題されたこの本は、1260年から1288年の間に、一人のドミニコ会員によって編纂されたもので、聖ドミニコの内的生活を理解し、あらゆる困難の中でどのように祈るべきかを学ぶための大きな助けを提供してくれます。

聖ドミニコによれば、祈るために9つの方法があります。これらすべては、常に十字架上のイエスの前で実行されるもので、相互に深い関わりを持ちながら、潜心と熱意とを醸し出す、身体的かつ霊的所作を表現するものです。

最初の7つの方法は、神に向かう歩み、三位一体の神との交わりに向かう歩みという、上昇線が特徴です。聖ドミニコは、謙遜を表すために頭を下げて立ち、自分の罪の赦しを願うために地面に伏し、主の苦しみに参与するために痛悔しながらひざまずいて祈りました。十字架にかけられたイエスの前で、両手を大きく広げ、神の世界に惹きつけられたように、眼差しを天に上げていました。

このように、神に向かう歩みには、立って祈る、ひざまずいて祈る、地にひれ伏して祈る、という3つの方法がありますが、いつも十字架につけられた主を意識するのです。

最後の2つの方法については、ここで簡潔に考察してみたいと思います。これらは聖人が普段実行していた2つの信心業に関連しています。

まず一つは、個人的な黙想です。この中で祈りはさらに内的に、熱心に、慰めに満ちたものとなります。聖務日祷やミサ聖祭の後、聖ドミニコは時間に制限をつけることなく、神との対話を続けていました。静かに座り、神の御言葉に耳を傾け、本を読み、十字架上の主を見つめながら、自分自身の中に潜心し、神との出会いのひと時を深く生きていました。外的にもその喜びや嘆きが見て取れました。信仰について黙想しながら、信仰内容を自分自身のものとしていました。聖ドミニコを見た人たちは、彼が時には輝くような容貌になり、一種の脱魂状態に入っていったと証言しています。けれども彼はその後すぐに謙遜に普段の活動に戻っていきました。

また、聖ドミニコは、修道院から他の修道院に向かう旅行中も、仲間と共に聖務日祷を大自然の中でその美を観想しながら唱えていました。そのような時、彼の心から多くの恵みのために、特に最大の驚異であるキリストによる救いの御業のために、神に向けて感謝と賛美の歌が上っていったのです。

親愛なる友人の皆さん、聖ドミニコは、すべてのキリスト者が家庭・職場・社会で、また休暇の時にも実践しなければならない信仰の証しの、その根源には祈り、神との親密な交わりがあることを私たちに思い起こさせます。神とのこの実際の出会いだけが、いろいろな出来事、特に最も苦しい時をも生き抜く力を私たちに与えてくれるのです。

聖ドミニコはまた、祈りの際の外的態度の重要性も教えてくれます。ひざまずいたり、主の前に立ったり、十字架像を見つめたり、沈黙の中に潜心したりすることは二次的な事柄ではなく、神と全身全霊で向き合うことを内的に助けてくれるものなのです。

私たちの霊的生活のために、毎日静かな祈り時間を持つことが大変必要であると、もう一度強調したいと思います。このような祈りの時間、神と語り合う時間を、休暇中にもぜひ取る必要があります。これによって近くにいる人々をも神の現存の光に招く助けになります。神こそが私たち皆が必要とする平和と愛をもたらすのです。








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