2012-08-13 18:25:26

教皇、アジアの豪雨とイランの地震の犠牲者のために祈る


教皇ベネディクト16世は、カステルガンドルフォで12日、日曜正午の祈りを信者と共に唱えられた。

この集いで教皇は、フィリピンと中国をはじめ、豪雨による深刻な被害を受けたアジアの国々、また大きな地震に見舞われたイランに思いを向けられた。

教皇はこれらの自然災害の犠牲者と、被害に苦しむすべての人々のために祈るよう皆を招くと共に、これらの被災者に連帯と支援が欠けることがないようにと呼びかけられた。

説教で教皇は、このところ主日のミサで朗読されているヨハネ福音書6章の解説を続けながら、この日の朗読部分、イエスがご自分を「天から降って来たパン」「命のパン」であると宣言する箇所(6,41-51)を観想された。

パンを増やす奇跡を行い、人々の空腹を満足させた後、イエスは朽ちる食べ物ではなく、永遠の命に至る食べ物について述べる。そしてここで、ご自分は「天から降って来たパン」であり、これを食べる者は死なず、永遠に生きると話す。

イエスは永遠の命を与えるパンであり、それは、神の御一人子として御父の懐深くにあるイエスが、人間に満ち満てる命を与え、神の命の中に人を導くために来られたからであると、教皇は話された。

教皇は、ヘブライ思想において、イスラエルを養った天の真のパンとは、律法、神の御言葉であったことは明らかであり、イスラエルの民は律法をモーセからの本質的で恒久の賜物として認識していたと指摘。

ここで、イエスはご自身を天のパンとして示すことで、彼こそが生ける神の御言葉であることを証しされたと教皇は説き、この受肉した御言葉によって、人は神の御心を人生を導き支える糧とすることができると話された。

この福音箇所に見られるユダヤ人たちが「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている」(ヨハネ6,42)とつぶやいたように、イエスの神性を疑うことは、神の御業に逆らうことであると教皇は強調。

彼らはイエスの地上の生まれに捉われ、それゆえにイエスを受肉した御言葉として受け入れることができなかったと述べられた。

教皇は、「彼らはその天のパンから遠ざかり、それに対して空腹を覚えることができなかった。彼らの心の口は閉ざされていた。実際、このパンは、内的な人間の空腹を必要とするものであった」という聖アウグスティヌスの「ヨハネ福音書注解」の言葉を引用。

わたしたちも神の御言葉への空腹、人生の真の意味を知りたいという空腹を実際に感じることができるようにと教皇は話し、父なる神に惹かれ、神に耳を傾け、神から学ぶ者だけが、イエスを信じ、彼と出会い、彼によって養われ、真の命、道、正義、真理、愛を見出すことができると説かれた。








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