2012-08-06 18:56:45

教皇一般謁見・カテケーシス(2012.8.1)


親愛なる兄弟姉妹の皆さん

今日はレデンプトール会創立者で、司教、倫理神学研究者、および聴罪師たちの保護者、聖アルフォンソ・マリア・デ・リゴリの祝日です。

聖アルフォンソは18世紀の最も人気のある聖人の一人でした。聖アルフォンソは人々に福音の教えをわかりやすく、単純に解き明かしていました。特に、赦しの秘跡に関して、的確な教えを述べていました。ヤンセニズモといった厳格主義がはびこっていた時代にあって、赦しの秘跡を授ける聴罪司祭たちに、罪を後悔するその子を決して見捨てることのない、父なる神の憐れみの心を示すよう、勧めていました。

聖人の祝日に当たる今日は、特にこの聖人が教えてくれる大変貴重な聖霊の息吹に満ちた祈りについて考察するよい機会です。1759年、彼は祈りについての本を書き、この本を彼の全著作の中でも、最も有益な本だと考えていました。事実、彼はこの本の中で、祈りこそ救いを獲得するための、また、救いに必要なすべての恵みのために、不可欠で最も確実な方法であると説いています。

まず、手段は私たちにそれによって到達すべき目的を示していると教えます。「神は私たちに満ち満てる生命を与えようと、愛によって創造しました。しかしこの目的、満ち満てる生命は、罪によって遠ざけられてしまいました。ただ神の恵みだけが、この生命に近づくことを可能にしてくれます。聖アルフォンソはこの根本的な真理を理解させるために有名な格言を残しました。

「祈る人は救われ、祈らない人は滅びる」。この格言を説明するために、彼は次のように付け加えています。「祈らずして救われるのは、困難であるだけでなく、不可能である。しかし、祈ることによって、救いは確実で、いかにもやさしいものとなる」と。

聖人はさらに言います。「もし、祈らないなら、私たちには弁解の余地がありません。なぜなら、祈るという恵みは、すべての人に与えられているからです。もし、私たちが救われないとするなら、それはすべて私たち自身のせいです。なぜなら、それは祈らなかったからです」。

聖アルフォンソは、祈りは不可欠の手段であると主張しながら、生活のいかなる状況の下でも、特に試練と困難の時に、祈るべきことを理解させようとするのです。主はいつもその子供たちであるわたしたちの世話を忘れることがないと確信して、常に信頼をもって主の扉をたたき続けなければなりません。ですから、私たちは恐れることなく、私たちに必要なものはいただけるとの確信の中に、主の下に走り、信頼を込めて私たちの祈りや願いを表しましょう。

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、これこそ中心的な疑問です。「私の人生で真に必要なものとは何でしょう」。聖アルフォンソと共にお答えします。それは「救いです。そして救いに必要な全ての恵みです」。

もちろん、それはただ肉体的な救い、健康だけではなく、特にイエスが私たちにもたらす霊魂の救いを意味します。私たちに何よりも必要なのは、私たちを完全に人間的にし、喜びで満たしてくれる、主の解放の恵みです。私たちはただ祈りをもってのみ、主を、そしてその恵みを受けることができます。あらゆる状況の中で、主は私たちを照らし、真の善とは何かを理解させ、私たちを強め、私たちの意志を理解した善を実行することができるようにしてくれます。

しばしば私たちは善を理解しますが、それを実行することができません。祈りによってそれができるようになるのです。主の弟子は、いつも誘惑にさらされていることを知っています。そして、誘惑に打ち勝つために、祈りの中に神に助けを絶えず祈り続けます。

聖アルフォンソは、聖フィリッポ・ネリの大変興味深い例を挙げています。聖フィリッポ・ネリは、朝起きるとすぐに神に言っていたそうです。 「主よ、フィリッポの頭の上に手を置いてしっかりと守っていてください。そうでないと、フィリッポはあなたを裏切ってしまいます」。

神にしっかりと手を添えて守ってくれと願っています。なんと現実的なことでしょう。わたしたちも自分の弱さをよく知っています。神の助けを神の豊かな憐れみに信頼して、謙遜に願わなければなりません。聖アルフォンソはこうも言います。

「私たちはすべてにおいて貧しい者です。しかし、神に願うなら、私たちはもう貧しくはありません」。聖アウグスティヌスの後に従って、聖アルフォンソは、善を行うために必要であるが、自分では持っていない力を、祈りをもって神に願うことを恐れてはいけませんと言っています。謙遜に祈る人の祈りを、主は決して拒むことはありません。

親愛なる友人の皆さん、聖アルフォンソは、神との関係が私たちの生活にとって本質的であることを思い起こさせます。神との関係なしでは、根本的な関係が欠けています。神との関係は、神と語ること、毎日の祈りの中で、実現します。そして、秘跡に参与することによって、神との関係は、わたしたちの中で成長します。わたしたちの中における神の現存はますます深くなり、こうして毎日の生活の中で、危険や困難においても、私たちの歩みを照らし、安全に導いてくれるのです。








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